離婚する場合としない場合で慰謝料はどう変わるのか
「示談書の一条目に、不貞行為があったことを認めるという趣旨の一文が入っています。ここに署名してよいのでしょうか」。「相手が事実を認めない限り、示談書を作る意味がないと言われました」。慰謝料の話し合いが金額の折り合いまで進んだところで、こうしたご相談をいただくことがあります。請求を受けた側からも、請求する側からも、同じ一文について、正反対の方向から迷いが生じます。
示談書の書き方を説明する記事の多くは、まず不貞行為の事実を記載し、相手にそれを認めてもらうことが大切だと述べています。この説明が誤っているわけではありません。ただ、そこであまり語られないのは、その一文が何を決めていて、何は決めていないのか、そして決めた内容がどこまで届くのか、という点です。金額の交渉が終わっているのに署名の手が止まるのは、たいてい、この見えにくい部分に理由があります。
この記事では、不貞慰謝料の示談書に置かれる「認める」という記載を取り上げ、それが書面の中で果たしている働きと、署名した後に効いてくる場面を整理します。条項全体の組み立て方、清算条項の届く範囲、求償権の扱いといった論点は別の記事に譲り、ここでは事実を認める一文そのものに絞ってご説明します。
この記事で扱うこと・扱わないこと
- 示談書の中で「認める」と書かれた記載が、何を決めているのか。
- その記載があることで動くことと、それでも決まらないこと。
- 書いた後に、その書面がどの場面に持ち出されるのか。
- 事実に立ち入らない形で終える書き方と、その副作用。
- 請求する側から見た、事実を認めさせることの意味と限界。
一方で、条項をどう並べるか、清算条項や接触禁止条項をどう設計するか、分割払いや公正証書をどう扱うか、求償権をどうするかといった論点は、それぞれ別の記事で取り上げています。話し合いの場での「認めた」という発言が裁判でどう扱われるか、念書や謝罪文の証拠としての価値がどう判断されるかについても、別稿にまとめています。本稿は、示談書という一枚の書面の中に置かれた一文に話を絞ります。
示談書の中の「認める」は一つではない
示談書を読むと、「認める」という言葉が複数の場所に出てきます。読む側はそれらをひとまとまりに感じますが、法律上の働きは同じではありません。まず、この三つを分けて読むことが出発点になります。
出来事・権利侵害・支払義務の三つに分かれる
| どの記載か | その一文が担っていること | 置かれていない場合に生じやすいこと |
|---|---|---|
| 出来事についての記載 | いつ、誰との間に、どのような関係があったのかを特定し、示談の対象となる範囲を画する | 後になって、何についての示談だったのかが争いになりやすい |
| 権利侵害についての記載 | 支払いの根拠が不法行為であることを示す | 支払いの性質が読み取りにくくなり、他の名目と混ざりやすい |
| 支払義務についての記載 | 金額や支払方法の前提として、支払う義務があること自体を確認する | 金額の合意はあっても、その根拠が書面から見えにくくなる |
この三つのうち、後々まで影響が残りやすいのは、一段目の出来事についての記載です。金額の記載は支払いが終われば役割を終えますが、出来事についての記載は、支払いが終わった後も書面の中に残り続けます。
謝罪の言葉は別の役割を持つ
多くの書面では、事実の記載に続けて謝罪の言葉が置かれます。謝罪そのものに支払義務を生じさせる働きはありませんが、事実を認めたうえでの言葉として読まれるため、事実の記載と一体のものとして受け取られます。謝罪だけを入れて事実の記載を外したいという希望が出ることもありますが、読み手にとっては、何に対する謝罪なのかが分からない書面になります。
事実の記載が置かれる理由
なぜ、金額さえ決まれば済みそうな書面に、わざわざ出来事の記載を置くのでしょうか。理由は、示談という契約の性質にあります。
何についての合意なのかを決めている
示談は、当事者が互いに譲歩して争いをやめることを約束する和解という契約にあたります(民法695条)。争いをやめる約束である以上、どの争いをやめるのかが決まっていなければ、約束の輪郭が定まりません。事実の記載は、その輪郭を書面の上に描く役割を担っています。
清算条項が届く範囲にも関わる
示談書の末尾には、この件についてこれ以上の請求をしないという趣旨の条項が置かれるのが一般的です。この条項が具体的にどこまで届くのかは、書面が「この件」と呼んでいるものの中身によって変わります。事実の記載が薄いと、後日、別の出来事についての請求だという主張が出てきたときに、線を引きにくくなることがあります。清算条項そのものの読み方は、別の記事で詳しく取り上げています。
支払う側にとっても意味を持つ場合がある
事実の記載は請求する側のためのものだと思われがちですが、支払う側にとって働く場面もあります。対象が特定されていれば、そこに含まれない出来事について改めて請求されたときに、今回の示談とは別の話だと切り分けて考える手がかりになるからです。輪郭を描くという作業は、外を閉じる作業でもあります。
認めると書くことで動くもの、動かないもの
「認める」と書くと、すべてが決まってしまうように感じられます。しかし実際に動く範囲は限られています。
| 認めると書くことで動きやすいこと | それでも決まらないこと |
|---|---|
| 示談の対象となる出来事の輪郭が定まる | 支払う金額が妥当かどうか |
| 出来事そのものを後から争い直すことが難しくなる | 責任の重さをどう評価するか |
| 別の場面に提出できる書面が手元と相手方に残る | 書面に当事者として加わっていない人との関係 |
| 支払義務を認めた記載は、時間の数え方に関わることがある | 書面に書かれていない期間や出来事 |
事実を認めることと、請求された金額を受け入れることは、別の判断です。事実の記載に署名しても、金額が相場の考え方に照らして妥当かどうかは、なお検討の対象として残ります。逆に、金額を受け入れたからといって、書面に書かれていない期間の出来事まで認めたことになるわけでもありません。
支払義務を認めた記載が持つもう一つの働き
支払義務があることを認める記載は、その債務の存在を確認する意味を持ちます。この確認は、請求できる期間の数え方に影響することがあります。時効の起算点や数え方については別の記事で扱っていますので、ここでは、金額の欄にも時間に関わる働きがあるという点にとどめます。
後から「事実と違った」と言えるのか
署名の前に気にかかるのは、後で言い直せるのかという点ではないかと思います。示談書の場合、この問いには少し特殊な答え方が必要になります。
争いの対象だった事柄は蒸し返しにくい
民法696条は、和解によって権利があると認められた場合や、ないと認められた場合について、後からそれと異なる確証が出てきたとしても、権利は和解の内容のとおりに扱われると定めています。これは和解の確定効と呼ばれます。争いをやめるための合意なのに、後から証拠が出るたびにやり直せるとすれば、合意をした意味が失われてしまうからです。示談で争いの対象になっていた事柄については、後になって別の資料が見つかっても、書面の内容に沿って扱われるのが原則です。
争いの前提とされていた事柄は別に扱われることがある
もっとも、確定効が及ぶのは、当事者が争い、譲り合って決着をつけた事柄についてです。双方が疑いを持たず、当然の前提として扱っていた事柄に食い違いがあった場合には、これとは別に検討されることがあります。裁判例にも、和解の前提とされていた事柄についての勘違いを理由に、和解の効力を否定したものがみられます。ただし、ある事柄が争いの対象だったのか前提だったのかは、その示談に至る経緯によって判断が分かれる部分でもあります。
署名に至る経緯に問題がある場合
欺かれて署名した場合や、強く迫られて署名した場合には、和解の確定効とは別の枠組みで契約の効力が問題になります。この点は、念書や謝罪文を書かされた場合の扱いと共通しますので、別の記事に譲ります。いずれにしても、後から覆すには相応の材料が必要になるとお考えください。
書いた書面は当事者の外へ出ていく
示談の効力そのものは、署名した当事者の間にとどまります。しかし、書面という紙は当事者の間にとどまりません。ここが、話し合いの場での発言と示談書の記載が大きく違うところです。
離婚をめぐる話し合いや裁判で
不貞行為は、法律上の離婚原因の一つとされています(民法770条1項1号)。不貞相手との間で作られた示談書は、夫婦の間の離婚の話し合いや裁判で、事実があったことを示す資料として提出されることがあります。夫婦が離婚しない前提で示談をした場合でも、書面は残りますので、後日、状況が変わったときに使われる可能性は残ります。
配偶者との間の精算で
不貞慰謝料は、不貞をした配偶者と不貞相手の双方が負う責任として整理されます(民法709条、719条)。そのため、一方が支払った後、当事者の間でどう分担するかという問題が生じます。事実を認める記載は、その分担を考えるときの出発点にもなります。この分担の仕組みと、示談書での扱い方については、求償権を扱った記事にまとめています。
口外禁止条項があっても書面は残る
口外禁止の約束は、当事者が第三者に話さないことを内容とします。書面そのものが消えるわけではありませんし、裁判所に証拠として提出する場面まで一律に封じられるとは限りません。書面を作るときは、内緒にする約束と、書面が残るという事実を、分けて考えておく必要があります。
事実を認めない形で終える書き方もある
実務では、当事者の言い分が最後まで一致しないまま、それでも紛争を終わらせたいという場面があります。そのようなときに、書面の作り方をどうするかという問題が出てきます。
| 終え方の形 | 書面に残ること | 考えておきたいこと |
|---|---|---|
| 事実を確認して終える形 | 出来事の内容と当事者が記録される | 後の場面で持ち出される書面になる |
| 事実に立ち入らず、争いの範囲だけを特定する形 | 何についての解決かは分かるが、出来事の詳細は残らない | 清算条項が届く範囲を読み取りにくくならないか |
| 言い分が一致していないことを前提に、解決だけを合意する形 | 双方の主張が食い違ったままであることも記録される | 相手方が受け入れず、合意に至らないことがある |
認識と異なる記載に署名したときの負担
早く終わらせたい一心で、自分の記憶と違う内容の記載に署名してしまう例は少なくありません。書面に残った記載は、後日、その内容を前提として読まれます。期間が実際より長く書かれていれば、その期間を前提に評価されますし、回数が多く書かれていれば、その前提で読まれます。事実を争わないという判断と、事実と異なる記載を受け入れるという判断は、別のものです。
認めない形にすると相手が受け入れにくい
一方で、事実に立ち入らない形の書面は、請求する側にとって受け入れにくいものです。何のために金銭を受け取るのかが書面から読み取れないと感じられるためです。書き方の希望を出すときは、相手方がその形を受け入れる理由を用意できるかどうかも、あわせて考えることになります。
支払いの名目と事実の記載はセットで読まれる
支払いの名目を慰謝料とするか解決金とするかという議論もあります。名目だけを変えても、事実の記載が残っていれば、書面全体としては不貞行為に対する支払いとして読まれます。名目と事実の記載は、切り離さずに検討したほうが行き違いが生じにくくなります。
請求する側から見た「認めさせる」ことの意味
ここまでは主に署名を求められた側の視点で整理しました。請求する側から見ると、同じ一文は別の意味を持ちます。
示すべきことが減る
訴訟になった場合、不貞行為があったことは請求する側が示す立場にあります。書面に事実の記載があれば、その分だけ手元の資料で足りる場面が増えます。証拠が十分に揃っていない段階でも合意による解決を目指せるのは、この点によるところがあります。
記載にこだわって合意が壊れることもある
もっとも、事実の記載がなければ示談ができないわけではありません。支払いについての合意だけでも、契約としては成立します。細かい記載を求め続けた結果、話し合い自体が止まり、時間だけが過ぎることもあります。何を優先するのかは、事案ごとの判断になります。
書いてある範囲より広い事実は含まれない
事実の記載は、書かれた範囲について働きます。期間を限って書けば、その外の出来事は対象になりません。後から別の期間の出来事が分かったとき、どう扱われるかは、書面の記載の仕方によって変わってきます。
署名の前に確かめておきたいこと
- 書かれている出来事が、自分の認識と一致しているか。
- 期間や回数の記載が、実際より広くなっていないか。
- 事実の記載と、支払いの名目が食い違っていないか。
- 当事者が誰と誰になっているか、また誰が署名するのか。
- その書面が、後日どのような場面で読まれる可能性があるか。
- 書き直しを申し入れる余地が、今の段階で残っているか。
その場で署名を求められても、内容を持ち帰って検討したいと伝えることはできます。示談書は、署名した後に直すことが難しい書面です。迷いがあるうちは、時間を置いて考えることをおすすめします。
よくあるご質問
認めると書いた示談書に署名しました。後から取り消せますか
示談で争いの対象になっていた事柄については、後から資料が出てきても、書面の内容に沿って扱われるのが原則です(民法696条)。ただし、署名に至る経緯に問題があった場合や、双方が当然の前提としていた事柄に食い違いがあった場合には、別の枠組みで検討される余地があります。実際にどちらにあたるかは、交渉の経過や書面の作られ方によって判断が分かれますので、書面をお持ちのうえでご相談ください。
事実は争いませんが、細かく書かれるのは避けたいです
期間や回数、場所をどこまで書くかは、交渉で決まる部分です。記載を絞ることは可能ですが、絞りすぎると、後日、この件に含まれるかどうかの判断がしにくくなる面もあります。どこまで書くかは、相手方の受け止め方と、後の場面での読まれ方の両方から考えることになります。
認めないなら裁判にすると言われました
事実の記載は合意の一要素であって、それがなければ示談が成立しないというものではありません。もっとも、相手方が納得しなければ、手続に移る可能性は残ります。書面の形にこだわるかどうかは、金額や他の条件とあわせて、全体として判断することになります。
まとめ
- 示談は、当事者が互いに譲歩して争いをやめる和解という契約にあたります(民法695条)。
- 示談書の「認める」には、出来事についてのもの、権利侵害についてのもの、支払義務についてのものがあり、働きが異なります。
- 出来事についての記載は、何についての合意なのかという対象を画する役割を担っています。
- 争いの対象とされた事柄については、後から異なる確証が出ても、和解の内容に沿って扱われます(民法696条)。
- 認めると書いても、金額が妥当かどうかや、責任の重さまで決まるわけではありません。
- 書面は当事者の外にも出ていきます。離婚をめぐる争い(民法770条1項1号)や、当事者間の精算(民法709条、719条)の場面で読まれることがあります。
- 事実に立ち入らない形で終える書き方もありますが、相手方が受け入れるかどうかは別の問題です。
不貞慰謝料の示談書についてご検討中の方へ
弁護士法人若井綜合法律事務所では、男女間のトラブルに関するご相談を池袋と新橋の事務所でお受けしています。示談書に署名を求められている方については、書面の記載が自分の認識と合っているか、後の場面でどう読まれるかという観点から、内容を確認いたします。
請求をお考えの方についても、どこまでを書面に残すか、相手方が受け入れやすい形をどう作るかという点から、書面の組み立てをご一緒に検討します。金額の話がまとまった後でも、書面の作り方によって、その後の見通しは変わってきます。署名の前に一度、ご相談ください。


