国選と私選はどう違う|途中で切り替えられるのか
撮影を疑われている場面で、端末にも手元にも画像が見当たらないとき、多くの方が最初に思い浮かべるのは「画像がないなら事件にはならないのではないか」という見通しです。反対に、やり取りの中で「画像がなくても立件できる」と言われ、どちらが本当なのか分からなくなることもあります。
この記事は、そのどちらか一方を結論として示すものではありません。画像がある場合とない場合とで、捜査機関や検察官が何を見て判断することになるのかという、判断の材料の側を整理します。ご自身の事件がどうなるかを予測するものではありません。
立場を限定せずに書いています。疑いをかけられている方だけでなく、家族から相談を受けた方や、手続の進み方を知りたい方が読んでも通じるようにしています。
この記事で扱うこと・扱わないこと
次のような場面を想定しています。
・端末を調べられたが、指摘されているような画像は出てこないと言われた
・撮影したつもりはないが、そのように受け取られている
・画像が見当たらないのに、警察からの連絡が続いている
・家族が調べを受けており、画像がないと聞いて見通しを知りたい
次の論点は、別の解説で扱っています。撮影データを自分で消してしまった場合の評価、撮影に至らなかった場合の未遂や機器を差し向けた場合の扱い、撮影罪の対象がどこまでかという要件の中身、防犯カメラや交通系ICの履歴が捜査機関の手元に移る仕組み、余罪をめぐる見通しです。本稿はこれらには立ち入らず、画像がないという一点に絞ります。
「画像が残っていない」にはいくつかの状態がある
同じ「画像が残っていない」でも、なぜ残っていないのかによって、問題になる場面が変わります。ここを分けないまま一括りにすると、話がかみ合わなくなります。
| 画像が残っていない状態 | 主に問題になること |
|---|---|
| そもそも記録されていない | 撮影という行為があったといえるか |
| 端末に保存されていない | 記録の有無とは別に、行為の存否をどう確かめるか |
| 端末が手元になく確認できない | 押収されている間、自分の側で中身を確かめられない |
| 自分でも中身を把握していない | 説明できることとできないことの切り分け |
左の列は本人の側から見た状態、右の列はそのときに手続の中で問題になりやすい事柄です。同じ「ない」でも、行為そのものの存否が問題になる場合と、行為があった前提で確かめ方が問題になる場合とがあります。
「立件」という言葉が指しているもの
「立件されるのか」という問いに答えにくいのは、立件が刑事訴訟法に定義のある用語ではないからです。実務では、捜査機関がある事実を一つの犯罪事件として取り扱い、手続に乗せることを指して使われますが、これは一度きりの決定ではありません。
法律が定めているのは、その前後の枠です。捜査機関は犯罪があると思料するときに捜査をするものとされ(刑事訴訟法一八九条二項)、捜査をしたときは原則として事件を検察官に送致するものとされています(同法二四六条)。そのうえで、起訴するかどうかは検察官が判断し、犯罪の軽重や情状、犯罪後の情況によっては公訴を提起しないこともできます(同法二四八条)。
警察が事件として扱い始めることと、検察官が起訴に足ると考えることとは、別の人が別の基準で行う判断です。「画像がないから立件されない」という言い方は、この二つを一つにまとめてしまっています。画像がなくても手続が進むことはありますし、進んだ結果として起訴に至らないこともあります。
画像が担っていた二つの役割
撮影を問題とする事件で影像が重く扱われるのは、それが行為の記録であると同時に、何が写っていたかという要件の判断材料そのものだからです。この点は、撮影罪の要件を扱う別の解説で詳しく述べています。
もう少し分けると、影像は二つの役割を同時に果たしています。
・何が写っていたか。撮影の対象が法律の定める範囲のものだったかという、要件そのものにかかわる部分
・誰が、いつ、どこで撮ったか。行為と、その行為をした人とを結びつける部分
画像がないとき、この二つは同じようには埋まりません。二つ目は別の資料で置き換えられることがありますが、一つ目は置き換えが利きにくい場面があります。「画像がなくても立件できるのか」という問いは、このどちらの話をしているのかで答えが変わります。
何が写っていたかという役割は代わりが利きにくい
撮影の対象が法律の定める範囲のものだったかどうかは、本来、写っているものを見て判断される事柄です。影像がない場合、その判断は、周囲から見えていた状況や本人の説明に頼ることになります。
ここで難しいのは、周囲から見えていたのは撮影しようとする動きであって、写り込んだ内容ではないという点です。機器の向きや構え方が見えていても、そこから写っていた範囲まで確かめられるとは限りません。この部分の裏づけが薄いまま残ると、要件を満たすかどうかについて説明のつかない部分が残ります。
反対に、周囲から見えていた状況が具体的で、本人の説明とも食い違わない場合には、影像がなくても判断が進むことがあります。「画像がなければ成り立たない」と言い切れないのは、このためです。
誰がいつどこでという役割は他の資料で埋まることがある
行為と人とを結びつける部分は、影像以外の資料で置き換えられることがあります。その場に居合わせた人の説明、施設の側に残る記録、機器そのもの、行動の記録などが、それぞれ一部を担います。
ただし、これらは単独では「その人がその行為をした」ところまでは届かないのが通常です。積み重なってはじめて一定の見立てになるという性質のもので、数がそろえば足りるというものでもありません。
日時・場所・方法を特定できるか
起訴する場合、検察官は起訴状に公訴事実を記載します。そこには、できる限り日時、場所及び方法をもって罪となるべき事実を特定して記載しなければならないとされています(刑事訴訟法二五六条三項)。
影像には、写っている内容だけでなく、いつ撮られたかという記録が伴っていることがあります。影像がない場合、日時や場所を何で示すのかという問題が残り、これが「立証が難しくなる」と言われるときの中身の一つです。
もっとも、これは手がかりがまったくないことと同じではありません。申告のあった日時や場所がはっきりしている事件では、この点が争いにならないこともあります。
直接の証拠がない事件はどのように見られるか
直接の証拠がない事件について、最高裁は次のような考え方を示しています。有罪の認定には合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要であり、情況証拠によって事実認定をする場合でも立証の程度に差があるわけではないが、直接証拠がない以上、情況証拠によって認められる間接事実の中に、「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係」が含まれていることを要する、というものです(最高裁平成二二年四月二七日判決)。
この考え方は、間接的な事情をいくつ並べても、それだけで足りるわけではないことを示しています。同時に、直接の証拠がなければおよそ認定できない、という趣旨でもありません。
捜査や処分の判断は裁判より前の段階で行われますが、終わりの段階でどこまでの証明が求められるかという枠は、その前の見立てにも反映されます。「疑いがある」ことと「証明できる」ことは別だという言い方は、この関係を指しています。
認めた場合でも自白だけでは有罪とされない
画像がない状態で本人が認めると、それで結論が決まると考える方がいます。しかし、憲法と刑事訴訟法には、自白だけで有罪にはできないという定めがあります。
憲法三八条三項は、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には有罪とされないと定めています。刑事訴訟法三一九条二項も、公判廷における自白であるかどうかを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には有罪とされないと定めており、同条三項により、起訴された犯罪について有罪であることを自認する場合も含まれます。
この定めは補強法則と呼ばれます。最高裁は、実体のない犯罪事実が本人の自白のみによって認定される危険と弊害を防ぐため、自白の証明力についての判断を制限し、これを補い強める別の証明を求めたものだと説明しています(最高裁昭和三三年五月二八日大法廷判決)。
補強を要する範囲は限られている
ただし、この定めを「画像がなければ認めても有罪にならない」という意味に受け取るのは行き過ぎです。
補強を要する範囲は、犯罪事実のすべてに及ぶわけではないと解されています。補強となる証拠だけで犯罪事実を独立に証明できる必要はなく、自白の真実性を裏づけるに足りる程度であればよいというのが一般的な理解です。さらに、故意といった内心にかかわる部分については、自白のみで足りると解されています。
したがって、影像がなくても、述べた内容の真実性を裏づける事情が別にあれば、この定めが結論を左右するとは限りません。補強法則は自白の偏重を防ぐための仕組みであって、画像がないことを有利な事情に変える規定ではないということです。
あわせて、記憶があいまいな部分を埋める形で説明してしまうと、後からその部分が動かしにくくなります。分からないことを分からないまま述べることと、否認することは別の事柄です。
よく言われることと、実際の見られ方
| よく言われること | 実際にはどう見られるか |
|---|---|
| 画像がなければ事件にならない | 手続を始めるかどうかと、起訴するかどうかは別の判断 |
| 画像がなければ認めても差し支えない | 自白だけでは足りないが、補強を要する範囲は限られている |
| 画像がなければ何も分からない | 状況の説明や記録が、行為と人を結びつけることがある |
| 画像がないほうが早く終わる | 判断が定まらず、かえって時間がかかることもある |
左の列は相談の場で実際に聞かれることの多い言い方で、右の列はそれに対応する見方です。いずれも「逆になる」という意味ではなく、前提が一つ足りないという性質のものです。
画像がないことが一方向に働くわけではない
画像がないことは、判断を軽くする方向にだけ働くわけではありません。
確かめる材料が少ない事件では、判断がその場で定まらず、状態が続くことがあります。端末が押収されたままになる、連絡を待つ期間が延びるといった形で、生活の側に影響が残ります。
また、撮影された相手が具体的に分からないままだと、謝罪や弁償を申し入れる相手も定まりません。この点は、被害者が特定されない場合を扱う別の解説で述べています。処分の判断で考慮され得た事情が、そもそも積み上げられないということです。
なお、条例の規定の中には、影像が残っていることを前提としない定め方をしているものもあります。この点は、未遂や機器の設置を扱う別の解説をご覧ください。
説明の行き違いが起きやすいところ
次のような食い違いは、相談の場でよく見られます。
・「画像がない」と言われたのが、端末から出なかったという意味なのか、どこにも存在しないという意味なのかがはっきりしない
・自分の端末の中身を、押収されているために自分でも確かめられない
・「立件されない」と聞いたが、それが誰の判断なのかが分からない
・見ていないはずの部分まで、記憶として説明してしまっている
・画像がないという一点によって、他の説明の食い違いが小さく見えている
言われた言葉は、その場で書き留めておくと後で役に立ちます。誰が、いつ、どのような言い方をしたのかまで残しておくと、後から状況を組み立て直しやすくなります。
相談の前に整理しておきたいこと
・いつ、どこで、何があったと言われているのか
・警察や施設の側から、これまでにどのような説明を受けたか
・端末や機器が押収されているか、書面を受け取っているか
・すでに述べた内容と、書面に署名したかどうか
・あいまいな部分は、あいまいなまま書き出しておく
思い出せない部分を埋めて整えないことが大切です。整えた説明は一度述べると動かしにくくなり、後から食い違いが出たときには、その食い違いのほうが目立ちます。
弁護士に確認できること
・今の段階で、どの判断が終わっていて、どの判断が残っているのか
・自分の説明が、どの要件に向けられたものとして受け取られているか
・押収されている物について、いつ、どのような手続で確認や返還を求められるか
・述べた内容が書面としてどう残っているか、訂正を申し立てられるか
・この先、生活の側で影響が出やすいのはどこか
早めに相談したからといって、望ましい結果が約束されるわけではありません。ただ、判断が積み重なる前のほうが、確かめられることの範囲は広く残ります。
まとめ
・「画像が残っていない」は一つの状態ではなく、なぜ残っていないのかで問題になる場面が変わる
・立件は法律上の用語ではなく、段階ごとに別の人が別の基準で判断している
・影像は、何が写っていたかという要件の判断材料と、行為と人を結びつける材料とを兼ねている
・後者は他の資料で埋まることがあるが、前者は置き換えが利きにくい場面がある
・起訴の際には、日時・場所・方法をできる限り特定して記載することが求められる
・直接の証拠がない場合について、最高裁は間接事実の積み重ね方に枠を示している
・自白だけでは有罪とされないが、補強を要する範囲は限られている
・画像がないことは、有利にも不利にも一方向には働かない
画像の有無は、判断の結論そのものではなく、判断に使える材料の一つです。手元に何が残っていて何が残っていないのかを正確に把握することが、次の一歩を選ぶ土台になります。


