削除したのに復元された|デジタルフォレンジックと立件
痴漢と呼ばれる行為は、都道府県の迷惑防止条例違反として扱われることもあれば、刑法の不同意わいせつ罪として扱われることもあります。同じ「電車の中で人に触れた」という説明であっても、捜査機関が選ぶ罪名は初めから一つに決まっているわけではありません。
この点を扱う解説の多くは、どちらのほうが刑が重いかという比較でまとめられています。けれども、実際にご相談の場で質問が集まるのは、重さそのものよりも、罪名がどちらになると、その先の何が変わるのかという部分です。
この記事では、罪名の違いが表れる場面を、手続の入口、起訴できる期間、成立する場面の広さ、事件が終わった後の扱いという四つに分けて整理します。個別の事件の見通しをお示しするものではなく、いま自分がどのあたりに立っているのかを確かめるための地図として読んでいただければと思います。
この記事が想定している場面
次のような状況を想定しています。
・電車内や路上で人の身体に触れたとして、警察から事情を聞かれている
・警察の説明で条例違反という言葉が出たが、刑法の罪名も出てきて整理がつかない
・受け取った書面に罪名が書かれているものの、それが何を意味するのかが分からない
・家族が事情を聞かれており、どの程度の話なのかを把握しておきたい
どちらの罪名に当たるかという判断そのものは、触れた部位や触れ方といった行為の中身によって決まります。その判断の中身は別のコラムで扱っていますので、この記事では、罪名が決まった後に何が変わるのかに絞ってお伝えします。
「痴漢罪」という名前の罪はない
法律には痴漢罪という条文がありません。実務では、二つの規定のどちらかが用いられています。
一つは、都道府県の迷惑防止条例です。東京都の場合は「公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例」といい、その5条1項1号が、人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為として、公共の場所又は公共の乗物において、衣服その他の身に着ける物の上から又は直接に人の身体に触れることを禁じています。
もう一つは、刑法176条の不同意わいせつ罪です。同意しない意思を形成し、表明し、又は全うすることが困難な状態にさせ、又はその状態にあることに乗じて、わいせつな行為をした場合に成立するとされています。
条文の定め方はどこが違うのか
まず、二つの規定が条文の上でどう組み立てられているかを並べておきます。
| 項目 | 迷惑防止条例(東京都の例) | 刑法176条 |
|---|---|---|
| 場所の限定 | 公共の場所又は公共の乗物 | 限定なし |
| 刑の定め | 6月以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金 | 6月以上10年以下の拘禁刑 |
| 罰金刑の定め | あり | なし |
| 未遂の処罰 | 規定なし | あり |
| 常習の加重 | あり | 規定なし |
条例の罰則は同条例8条1項2号に置かれており、常習として違反した場合は同条8項により1年以下の拘禁刑又は100万円以下の罰金と定められています。以下では、この表に並べた違いが実際の場面でどう現れるのかを見ていきます。
変わるのは刑の重さだけではない
法定刑の幅が違うことは、たしかに罪名の違いのうちで分かりやすい部分です。ただし、法定刑は言い渡され得る刑の枠を示したものであって、その事件で実際に何が起きるかを直接に示すものではありません。
ご相談の場で問題になりやすいのは、むしろ次の四つです。手続がどの入口から始まるのか、いつまで起訴され得るのか、そもそもどの範囲の行為が対象になるのか、そして事件が終わった後に何が残るのか。順に見ていきます。
手続の入口が変わる|罰金刑があるかないか
刑事訴訟法は、簡易裁判所が検察官の請求により、公判を開く前に、略式命令で100万円以下の罰金又は科料を科すことができると定めています。これが略式手続と呼ばれるものです。書面での審理となり、公開の法廷は開かれません。
条例違反には罰金刑の定めがあるため、事案によってはこの手続がとられることがあります。これに対して刑法176条には罰金刑の定めがありませんので、起訴された場合には公判が開かれることになります。罪名がどちらであるかは、この入口の違いに直結します。
略式手続は本人の意向を確かめたうえで進む
略式手続は、本人の知らないうちに進むものではありません。刑事訴訟法は、検察官が略式命令を請求するにあたり、被疑者に必要な事項を説明し、通常の規定に従って審判を受けることができる旨を告げたうえで、略式手続によることに異議がないかどうかを確かめなければならないと定めています。異議がないときは、被疑者が書面でその旨を明らかにすることとされています。
また、略式命令の告知を受けた後も、一定の期間内であれば正式裁判を請求する道が残されています。どの選択が自分の状況に合うのかは、事件の内容によって変わります。
審理される裁判所も変わることがある
裁判所法は、簡易裁判所が第一審を扱う事件の範囲を、罰金以下の刑に当たる罪や、選択刑として罰金が定められている罪などと定めています。条例違反の痴漢はこの範囲に入り得るのに対し、刑法176条は罰金刑の定めがないため、地方裁判所で扱われることになります。
手続の場所が変わることは、期日の進み方や、周囲に知られる場面の作られ方にも関係してきます。
起訴できる期間が大きく違う
見落とされやすいのが、公訴時効の期間の差です。
| 項目 | 迷惑防止条例違反 | 不同意わいせつ罪 |
|---|---|---|
| 起訴できる期間 | 3年 | 12年 |
| 被害者が18歳未満の場合の加算 | 規定なし | 18歳になるまでの期間を加算 |
条例違反の痴漢は、長期5年未満の拘禁刑又は罰金に当たる罪として3年とされています。これに対し不同意わいせつ罪は、令和5年の法改正により12年とされ、さらに行為が終わった時点で被害者が18歳未満であった場合には、その方が18歳になるまでの期間が加算されます。
つまり、何年か前の出来事について、条例違反として見られているのであれば手続が進まない場面でも、刑法の罪名で見られている場合には手続が進むことがあります。時間の経過の意味が、罪名によってまったく異なるということです。
成立する場面の広さも違う
条例の規定には、公共の場所又は公共の乗物という場所の限定が付いています。職場や住居、個室のように、この限定に当てはまらない場所での出来事は、条例のこの規定では扱えず、刑法の該当性が正面から問われることになります。
未遂の扱いも異なります。刑法には176条の未遂を処罰する規定が置かれていますが、条例には未遂を処罰する規定が置かれていないのが通常です。触れる手前で止まったという事案では、この違いが結論を分けることがあります。
繰り返しの扱いにも差があります。東京都の条例には常習として違反した場合の加重規定がありますが、刑法176条には常習を加重する規定がなく、繰り返しは量刑の判断の中で考慮されることになります。
条例の内容は都道府県ごとに異なる
迷惑防止条例は各都道府県が定めるものですので、内容は一様ではありません。東京都は6月以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金と定めていますが、神奈川県や愛知県のように1年以下の拘禁刑又は100万円以下の罰金を定めている県もあります。
禁止されている行為の書き方も、県によって表現が異なります。鉄道での移動中の出来事では、どの地域の条例が問題になっているのかを確かめておくことが、後の説明の前提になります。
事件が終わった後の扱いにも違いが出る
令和8年12月25日に施行が予定されているこども性暴力防止法では、こどもと接する業務に従事する人について、事業者が過去の性犯罪の前科の有無を確認する仕組みが設けられます。
ここで対象とされる特定性犯罪には、刑法の不同意わいせつ罪などのほか、迷惑防止条例や青少年健全育成条例で定められた性犯罪に関する罪も含まれるとされています。条例違反であればこの仕組みとは無関係だという理解は、当てはまりません。
一方で、期間の区切り方は刑の種類によって分かれています。こども家庭庁が公表している資料では、拘禁刑の実刑は刑の執行を終えた日等から20年、拘禁刑の執行猶予は裁判が確定した日から10年、罰金は刑の執行を終えた日等から10年とされています。罪名そのものよりも、最終的に言い渡された刑の種類が期間を分ける形になっている点は、押さえておいてよいところです。
罪名が変わっても変わらないこと
違いばかりに目が向きますが、罪名によって変わらない部分もあります。
・どちらも、告訴がなければ起訴できない罪ではありません。被害を申し出た方が申告を取り下げたことだけで手続が当然に終わるという構造にはなっていません
・被害を受けた方に対する民事上の責任は、刑事の罪名とは別の枠組みで検討されます
・鉄道事業者や勤務先の対応は、刑事手続の結論とは別の基準で行われることがあります
・触れたという事実そのものを争う場面では、罪名がどちらであっても、証拠の見られ方は共通します
罪名は途中で動くことがある
捜査の初期に警察から示される罪名は、その時点での見立てです。送致の際に付けられた罪名と、検察官が起訴の際に選ぶ罪名が一致しないことがありますし、起訴された後に訴因が変更されることもあります。
条例違反として説明されていたものが刑法の罪名に変わることもあれば、その逆もあります。受け取った書面に書かれた罪名と、それが示された時期を控えておくと、後から経過を説明しやすくなります。
相談の前に整理しておきたいこと
次の点をまとめておくと、限られた時間で話が進みやすくなります。
・いつ、どこで、どのような場面での出来事だったか
・警察や検察から示された書面に、どの罪名が書かれていたか
・その罪名がいつ示され、途中で変わったかどうか
・在宅で事情を聞かれているのか、身柄の拘束を受けたのか
・過去に同じような事情で事情を聞かれたことがあるか
弁護士に確認できること
罪名をめぐっては、次のような点を確かめることができます。
・現在示されている罪名が、どの条文を指しているのか
・条例違反にとどまるという説明ができる余地が、この事案にあるかどうか
・罰金刑の定めの有無が、この事件の進み方にどう関係するのか
・時間の経過が、この事件でどのように働くのか
・事件が終わった後に残る記録が、仕事や資格の場面でどう関係し得るのか
まとめ
この記事の要点を整理します。
・痴漢罪という条文はなく、都道府県の迷惑防止条例と刑法176条のどちらかが用いられる
・条例違反には罰金刑の定めがあり、刑法176条にはない。この違いが手続の入口を分ける
・略式手続は本人の意向を確かめたうえで進み、告知の後に正式裁判を求める道も残されている
・起訴できる期間は、条例違反が3年、不同意わいせつ罪が12年と大きく異なる
・場所の限定、未遂の処罰、常習の加重といった点でも、成立する場面の広さが違う
・条例の内容と刑の定めは、都道府県によって異なる
・こどもと接する業務についての確認の仕組みでは、条例違反も対象に含まれるとされている
・罪名は捜査の途中で動くことがあり、書面の罪名と時期を控えておくと経過を説明しやすい
罪名がどちらであるかは、その一点で結論を決めるものではありません。行為の中身、経過、その後の対応など、複数の要素がそれぞれ別の場面で働きます。早い段階で状況を整理しておくことで選べる範囲が広がる場面はありますが、それによって望ましい結果が約束されるわけではないという点も、あわせてお伝えしておきます。
不安な状態のまま説明を重ねるより、いま何がどこまで決まっていて、何がまだ決まっていないのかを一度切り分けてみることをおすすめします。


