示談を申し入れたが断られた|そのあとに残る手段
その場では何も起きなかったのに、しばらく経ってから警察から連絡が入る。痴漢を疑われる場面では、こうした形で手続が始まることがあります。そのとき最初に浮かぶのは、なぜ自分にたどり着いたのか、という疑問だと思います。
この記事は、防犯カメラの映像や交通系ICカードの履歴が、どこに置かれ、どういう経路で捜査機関の手元に移り、そこから何がどこまで分かるのかという仕組みを整理したものです。特定されるかどうかを予測するものではなく、あくまで手続の見取り図として読んでいただくことを想定しています。
立場は限定していません。疑いを向けられている方、被害を申告した方、ご家族のいずれが読んでも同じ地図として使えるように書いています。個別の事情によって当てはまり方は変わりますので、具体的な判断はご自身の状況に即して行っていただければと思います。
この記事が想定している場面
次のような状況を念頭に置いています。
・その場でのやり取りがないまま、後日になって連絡や呼び出しがあった
・自分の乗車記録や映像がどのように扱われているのか分からない
・記録が残っていることを前提に、何を確認しておけばよいのか整理したい
・申告した側として、どのような資料が集められるのかを知っておきたい
どの行為がどの罪名にあたるのか、接触の態様や故意がどう見られるのか、連絡があった後の手続がどう進むのかについては、それぞれ別の解説にゆだねます。ここでは記録そのものの扱われ方に絞ります。
記録を持っているのは警察ではない
出発点として押さえておきたいのは、駅や車内の映像も、交通系ICカードの履歴も、捜査機関が保有しているものではないという点です。これらは鉄道事業者や施設の管理者が、自社の運行や設備の管理といった目的のために記録しているものです。
そのため、捜査機関がこれらの記録を使うには、その前に、第三者が持っている記録を自分の手元に移すという段階が必要になります。「防犯カメラで特定された」という説明は、この段階を省いた言い方です。実際には、記録の持ち主に対して法律上の入口を使って働きかけ、渡してもらうという手続が挟まっています。
この段階を意識しておくと、時間がかかる理由も、途中で止まる理由も、見通しが立てやすくなります。
記録が捜査機関の手元に移る三つの入口
実務でよく用いられるのは、次の三つです。
・照会(刑事訴訟法百九十七条第二項)。捜査については、公務所または公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることができるとされています。書面で問い合わせ、書面で回答をもらう形です
・任意提出と領置(同法二百二十一条)。所有者や保管者が任意に提出した物は、領置という形で押収できます。事業者が映像を記録した媒体を渡す場面がこれにあたります
・差押許可状による差押え(同法二百十八条第一項)。裁判官の発する令状によるもので、電磁的記録については記録命令付差押えという形も用意されています
痴漢の事案では、まず照会や任意提出という負担の軽い入口が使われることが多く、令状によるものは、相手方の協力が得られない場合や、対象を広く確保する必要がある場合に用いられます。
本人の同意がいらない理由
自分の乗車記録が渡されるのであれば、事前に連絡が来そうなものだと感じる方は少なくありません。しかし、実際にはそうなりません。
個人情報の保護に関する法律は、個人データを第三者に提供するには本人の同意を要するとしたうえで、「法令に基づく場合」(同法二十七条第一項第一号)を例外として定めています。個人情報保護委員会は、刑事訴訟法百九十七条第二項に基づく照会への回答はこの例外にあたり、本人の同意を得る必要はないという考え方を示しています。あわせて、これらの照会は相手方に回答すべき義務を課すものと解されているとも整理されています。
さらに、この例外にあたる提供については、第三者提供の記録を作成する義務も課されていません(同法二十九条第一項ただし書)。いつ、どの記録が、どこに渡ったのかを本人の側から後から辿る手立ては、そのぶん限られています。知らないうちに進んでいたように感じられるのは、制度の作りがこうなっているためです。
記録の持ち主と入口の関係
| 記録の種類 | 主な持ち主 | よく使われる入口 |
|---|---|---|
| 駅構内の映像 | 鉄道事業者 | 照会・任意提出 |
| 車内の映像 | 鉄道事業者 | 照会・任意提出 |
| 駅周辺や商業施設の映像 | 各施設の管理者 | 照会・任意提出 |
| 交通系ICカードの履歴 | 鉄道事業者など | 照会 |
持ち主が分かれていることが、この表の要点です。ひとつの窓口に問い合わせればすべてが出てくる、という構造にはなっていません。
映像は顔から名前が出る仕組みではない
映像について誤解されやすいのは、そこに映った顔から氏名が判明する、という理解です。実際には、そうした照合の仕組みが一般に用意されているわけではありません。
駅や車内のカメラは連続していません。改札、ホーム、通路、出口、そして駅の外と、撮影している範囲も管理している主体も分かれています。行われているのは、申告された時刻と場所を起点に、映像の断片をつないで移動の流れをたどる作業です。つながる区間があればそこから先に進み、つながらなければその手前で止まります。
なお、車内の映像については前提が変わりつつあります。令和五年に鉄道運輸規程などが改正され、一定の範囲の新造車両について車内への防犯カメラの設置が義務づけられました。以前は車内にカメラがないことを前提に語られていた部分が、路線や車両によって変わってきています。
交通系ICカードの履歴が示していること
交通系ICカードに記録されているのは、主として、いつ、どの駅で入場し、どの駅で出場したかという事実と、カードを識別する情報です。ここに氏名や住所そのものが含まれているわけではありません。
では、どこで人につながるのか。名前に届くのは、そのカードに別の情報が結び付いている場合です。記名式として登録されている場合、定期券として発行されている場合、携帯端末に紐づいている場合、クレジットカードで購入やチャージがされている場合などがこれにあたります。逆に、こうした結び付きがなければ、履歴だけでは人にたどり着きません。
この点は、鉄道事業者の側の案内からも読み取れます。たとえばJR東日本は、無記名式のカードについて、個人情報に該当しないため本人からの開示請求の対象にならないと説明しています。カードの履歴がそのまま個人の情報になるわけではない、という前提がここに表れています。
「履歴を調べれば氏名も住所も分かる」という説明を見かけることがありますが、その間に一段階あることは押さえておいてよい点です。
本人が自分で確認できる範囲には限りがある
自分の履歴を後から確かめようとしたときに、思ったほど残っていないことがあります。JR東日本の案内によれば、券売機などでの履歴表示は直近二十件まで、印字は直近百件までで、利用から二十六週間を超えた履歴は表示も印字もできないとされています。
さらに注意したいのが、定期券の区間内だけで乗り降りした場合です。この入出場記録は履歴の印字に反映されず、本人からの開示請求によっても確認できないと案内されています。通勤で同じ区間を往復しているほど、自分の手元に残せる記録は薄くなります。
また、利用したエリアとは別のエリアの機器で表示や印字をした場合には、個別の駅名ではなく事業者名の表示にとどまることがあります。
ここで区別しておきたいのは、事業者が業務上保有している範囲と、本人が確認できる範囲は同じではないという点です。本人の側から見えないことは、記録が存在しないことを意味しません。
確認できることと確認しにくいこと
| 事柄 | 本人の側からの確認 |
|---|---|
| 入出場した駅と時刻 | 一定の期間内であれば印字などで確認しやすい |
| 定期券区間内だけの乗降 | 履歴に反映されず確認しにくい |
| 乗っていた車両やその位置 | 履歴からは分からない |
| そのときの混雑の程度 | 履歴からは分からない |
| 映像に何が映っているか | 自分では確認できない |
同じ記録が自分の側の材料にもなる
記録は、疑いを向ける方向にだけ働くものではありません。改札を通った時刻と区間は、その人がどこにいたかを示すと同時に、どこにいなかったかを示す材料にもなります。申告された時刻や場所と食い違う場合、その食い違いを支えるのは記録の側です。
一方で、履歴から出てこないこともあります。何両目のどのあたりに立っていたか、どの程度混んでいたか、誰と一緒だったかといった事情は、履歴には残りません。これらは記憶と、乗車券以外の手がかりで補うことになります。
そして、時間の経過は一方向にだけ働くわけではありません。相手方の材料が薄れていくのと同じように、自分の側の材料も薄れていきます。しかも、本人が自分で確認できる範囲のほうが先に閉じてしまうことがあります。確認できるうちに手元に残しておく意味は、ここにあります。
映像を残してもらう働きかけと、その限界
自分の側から映像を確保したいと考える場面もあります。ただ、この点は制度の作りが弱い部分です。
刑事訴訟法には、電気通信の通信履歴について、消去しないよう書面で求める仕組みが置かれています。しかし、施設の防犯カメラの映像について、これと同じような一般的な規定は用意されていません。そのため、実際には保存の申入れという形で個別に依頼することになり、応じてもらえるかどうかは相手方の判断によります。
制度としては、弁護士会を通じた照会(弁護士法二十三条の二)があります。照会を受けた側には報告をすべき義務があると解されていますが、報告を拒んだことが直ちに損害賠償の対象になるわけではないというのが最高裁の判断です(最高裁平成二十八年十月十八日判決)。回答が得られないまま終わることも起こり得ます。
起訴された後は、公判前整理手続の中で、一定の類型にあたる証拠の開示を請求できる仕組みがあります(刑事訴訟法三百十六条の十五第一項)。押収された映像の媒体は証拠物として、この請求の対象になり得ます。もっとも、これは公判段階の話であり、それ以前の段階で同じように見られるわけではありません。
分かることと、結び付けられることは別
記録から読み取れる事実と、そこから導かれる評価は、切り分けて考える必要があります。
履歴が示しているのは、その時刻にその改札を通ったという事実です。車内で何があったかを示すものではありません。映像が示しているのは、映っている範囲の動きです。映っていない部分は、他の材料で埋められているか、埋められないまま推測されているかのどちらかになります。
弁護活動で確認されるのは、この埋め方に無理がないかという点です。記録があること自体ではなく、記録が支えている範囲がどこまでかが問われます。
この段階で起きやすい行き違い
次のような場面が見られます。
・映像があると言われたことを、犯行が映っていることと同じ意味に受け取ってしまう
・履歴を照会されたと聞いて、すでに氏名まで分かっているものと考えてしまう
・自分の記録を確認しないまま時間が経ち、表示や印字ができる期間を過ぎてしまう
・記憶を頼りに説明したところ、後から記録と食い違いが出て、説明を変えることになる
・定期券区間内の乗降だったため履歴が残らず、いたことも、いなかったことも示せなくなる
日付、時刻、乗降した駅、乗っていたおおよその位置、同行者の有無といった事柄は、覚えているうちに書き留めておくと、後の確認がしやすくなります。
弁護士に確認できること
この段階で相談する場合、次のような点が話の材料になります。
・自分の履歴を、どの方法で、いつまでに確認しておくとよいか
・どの記録が、どの入口で集められている可能性があるか
・映像や履歴について、保存を申し入れる余地があるか
・記録から言えることと、言えないことの線引きをどう整理するか
・連絡や呼び出しがあった場合に、何をどこまで話すことになるか
早い段階で整理を始めたからといって、望ましい結果が約束されるわけではありません。ただ、確認できる期間が区切られている資料については、時期によって選べる手が変わるのは確かなところです。
まとめ
・映像も交通系ICカードの履歴も、捜査機関ではなく鉄道事業者や施設の管理者が持っている
・捜査機関の手元に移る入口は、照会、任意提出と領置、差押許可状による差押えが中心になる
・照会への回答は「法令に基づく場合」にあたるため、本人の同意は要らず、事前に知らされない
・提供の記録を作る義務も課されておらず、本人の側から後から辿る手立ては限られている
・映像は顔から名前が出る仕組みではなく、区間をつないでいく作業として扱われる
・交通系ICカードの履歴は、記名や定期券などの結び付きを介してはじめて人につながる
・本人が確認できる範囲は件数と期間で区切られており、定期券区間内の乗降は反映されない
・記録は疑いの材料であると同時に自分の側の材料でもあり、どちらも時間とともに薄れていく
記録があるという事実だけで、結論が決まるわけではありません。何が、どこに、どこまで残っているのかを整理することが、この段階でできる現実的な作業になります。


