服の上から触れた|わいせつな行為の範囲はどこまでか
電車を降りた直後や、車内で人の流れが止まった瞬間に、いきなり腕をつかまれる。痴漢を疑われた場面の多くは、この形で始まります。つかまれた側にとっては、何が始まったのかがわからないまま、周囲の視線と時間だけが進んでいきます。
このとき起きていることは、法律の上では「私人による現行犯逮捕」と呼ばれる場面か、あるいはその手前の呼び止めのいずれかです。どちらなのかによって、その後に何が続くのかも、その場のやり取りが後にどのような形で残るのかも変わってきます。
この記事は、その場面を法律がどのように組み立てているのかを整理したものです。どう振る舞えばよいかという手順を示すものではなく、置かれている状況の見取り図として読んでいただくことを想定しています。
この記事が想定している場面
次のような場面を念頭に置いています。
・電車内や駅のホームで、被害を申告した人に腕をつかまれた
・居合わせた乗客や駅の係員に呼び止められ、その場にとどまるよう求められた
・駅の事務室に移るよう言われ、警察官が到着するまで待つことになった
・待っている間に、事情を説明するやり取りがあった
どの行為がどの罪名にあたるのかという整理や、接触の態様から故意がどのように読み取られるのかという話は、それぞれ別の解説にゆずります。ここでは、身体をつかまれてから警察官に引き渡されるまでの区間だけを扱います。
腕をつかまれたことと逮捕されたことは同じではない
逮捕とは、人の身体を拘束し、そのまま拘束の状態を続ける手続をいいます。腕をつかむ行為がこれにあたる場合もあれば、あたらない場合もあります。
声をかけて呼び止め、その場にとどまるよう求めているだけであれば、まだ逮捕には至っていないと評価される余地があります。他方で、その場を離れられない状態が続き、警察官への引渡しが前提になっているのであれば、「逮捕する」という言葉が使われていなくても、逮捕として扱われることがあります。
手がかりになるのは、宣言の有無よりも実質です。身体の自由がどの程度奪われているのか、その状態がどれくらい続いているのか、引渡しが予定されているのか。これらが、後からその場面を評価するときの材料になります。
令状のない逮捕が認められている理由
憲法は、現行犯として逮捕される場合を除いて、令状によらなければ逮捕されないと定めています。逮捕は裁判官の審査を経てから行うのが原則であり、現行犯逮捕はその例外として置かれた仕組みです。
例外が認められているのは、目の前で犯罪が行われている場面では、誰が何をしたのかが外から見て明らかであり、裁判官の審査を待つ余裕もないと考えられているためです。裏を返せば、明らかだといえない場面では、この例外は使えません。
刑事訴訟法第二百十二条第一項は、現に罪を行い、または現に罪を行い終わった者を現行犯人としています。求められているのは、犯罪と犯人が逮捕しようとする人にとって明らかであることと、犯行との時間的な近さが明らかであることです。
罪を行い終わった直後と評価される範囲
「現に罪を行い終わった」といえるかどうかは、時計の上の時間だけで決まるわけではありません。犯行があったとされる場所からどれだけ離れているか、どのような経緯で気づかれたか、その場の状況がどうなっていたか、追跡が続いていたかといった事情をあわせて判断されます。
電車内の場面では、駅に着いて扉が開き、人が流れ出す間に声が上がることがあります。車内で気づかれたまま降車まで続いた場合と、いったん離れてから改めて呼び止められた場合とでは、同じ「降りた直後」でも評価が変わり得ます。
準現行犯という枠と、その場を離れようとする行為
刑事訴訟法第二百十二条第二項は、罪を行い終わってから間がないと明らかに認められる場合に、次のいずれかにあたる人を現行犯人とみなすと定めています。
・犯人として追いかけられ、または呼びかけられているとき
・盗まれた物や、犯行に使われたと思われる道具などを持っているとき
・身体や着衣に、犯行の跡が残っているとき
・呼び止められて逃げようとするとき
痴漢を疑われた場面で意味を持ちやすいのは、一つ目と四つ目です。声をかけられた人がその場を離れようとしたという事情は、四つ目にあたり得る事実として扱われます。その場から離れようとする動きは、法律の組み立ての上では、拘束を避ける方向にではなく、逮捕できる範囲が広がる方向に働くことがあるということです。
「何人でも」という条文が意味していること
刑事訴訟法第二百十三条は、現行犯人は何人でも逮捕状なしに逮捕することができると定めています。被害を申告した本人でも、居合わせた乗客でも、駅の係員でも、条文の上では逮捕することができます。
もっとも、この条文が私人に与えているのは、逮捕という一点だけです。事情を聞き出す権限も、持ち物を調べる権限も、いったん拘束した人を自分の判断で解放する権限も、私人には認められていません。
その場で行われることの法律上の位置づけ
同じ十数分の間に起きる出来事でも、法律の中での意味はそれぞれ異なります。
| その場で行われること | 法律上の位置づけ |
|---|---|
| 腕をつかんで、その場にとどめる | 要件を満たす場合に逮捕にあたる行為 |
| 事務室へ移るよう求める | 逮捕に伴う移動か、任意の移動かで意味が変わる |
| 事情を尋ねられる | 私人による取調べではなく、任意のやり取り |
| 連絡先の交換や謝罪を求められる | 刑事手続の中に位置づけられた行為ではない |
| 警察官に引き渡す | 法律が逮捕した人に義務づけている手続 |
引き渡すまでが逮捕の続きとして扱われる
刑事訴訟法第二百十四条は、私人が現行犯人を逮捕したときは、直ちに検察官または警察官に引き渡さなければならないと定めています。逮捕した人が自分の手元で事情を確かめたり、その場の話し合いで終わらせたりすることは、この条文が想定しているところではありません。
引渡しまでの時間も、逮捕の状態が続いているものとして扱われます。最高裁は、電車内で車掌に現行犯逮捕された人が、到着した駅で引渡しのために連れられている途中に暴行に及んだ事案について、逮捕を免れるための暴行にあたると判断しました(昭和三十四年三月二十三日)。窃盗についての判断ではありますが、つかまれてから引き渡されるまでの区間が、一続きの場面として見られていることを示しています。
駅の事務室に移る場面をどう位置づけるか
実際には、ホームや車内でのやり取りがそのまま続くことは多くありません。駅の事務室や係員室に移り、そこで警察官の到着を待つ形になるのが通例です。
鉄道営業法は、一定の場合に、鉄道の係員が旅客や公衆を車外または鉄道の敷地の外に退去させることができると定めています。そこで認められているのは退去を求めることであり、事務室に留め置いて事情を調べることを認めた規定ではありません。
そのため、事務室で過ごす時間は、逮捕が行われているのであればその継続として、そうでないのであれば任意のやり取りとして位置づけられます。同じ部屋で同じように待っていても、法律上の意味は同じではないということです。
警察官が到着したあとに確認されること
刑事訴訟法第二百十五条は、私人から現行犯人を受け取った警察官が行うことを定めています。受け取った人を速やかに引致すること、そして、逮捕した人から氏名、住居、逮捕の事由を聞き取ることです。必要があるときは、逮捕した人に対し、ともに官公署へ行くことを求めることができるとされています。
被害を申告した人や、取り押さえた乗客が、その場で名前を尋ねられたり、警察署まで同行することになったりするのは、この規定が背景にあります。現場は、疑われた人だけについて何かが決まる場ではないということです。
逮捕として扱われる場合には、疑われている犯罪事実の要旨と、弁護人を選任できることが告げられ、言い分を述べる機会が設けられます。身柄の拘束を続けるかどうかは、その後の早い段階で一度判断されます。
要件を満たしていたかは後から検証される
現行犯逮捕は、裁判官の事前の審査を経ずに行われる手続です。私人による逮捕の場合、その時点では捜査機関が現場にいません。要件を満たしていたかどうかを、その場で確かめている人はいないことになります。
確かめられるのは後の段階です。引渡しを受けた警察官、送致を受けた検察官、身柄について判断する裁判官が、それぞれの立場から、そもそも現行犯人といえる状況だったのかを見ることになります。現行犯逮捕として始まったことが、その後の手続で何も検討されないことを意味するわけではありません。
その場の力のやり取りは双方向に評価される
最高裁は、現行犯人から抵抗を受けたときは、逮捕しようとする者は、警察官であるか私人であるかを問わず、その際の状況から見て社会通念上逮捕のために必要かつ相当と認められる限度で実力を行使することが許されるとしています(昭和五十年四月三日)。逮捕のために腕をつかむ行為が、この限度の中にあると評価されるのであれば、それ自体が暴行として扱われることはありません。
この判断は、限度を超えた場合の評価も同時に含んでいます。抵抗の姿勢を示していない相手に対する行為や、必要の程度を超えた押さえ込みは、逮捕した側の行為として別に評価される余地があります。
他方で、つかまれた側が振りほどこうとした動きも、その場の事情の一部として記録に残ります。数十秒の出来事が、二つの方向から同時に評価される場面だということです。
軽い罪について置かれている制限
刑事訴訟法第二百十七条は、三十万円以下の罰金、拘留または科料にあたる罪の現行犯については、犯人の住居や氏名が明らかでない場合か、逃亡するおそれがある場合に限って、現行犯逮捕の規定を適用するとしています。
もっとも、痴漢が問題になる場面で用いられる規定には、拘禁刑を定めているものが少なくありません。その場合、この制限が働く場面は限られます。こうした制限があること自体は知られていても、目の前の事案に当てはまるとは限らないということです。
逮捕として扱われるかどうかで変わること
同じように見える場面でも、逮捕として扱われるかどうかで、その後の意味づけが分かれます。
| 項目 | 逮捕として扱われる場合 | 任意のやり取りにとどまる場合 |
|---|---|---|
| その場からの移動 | 拘束の継続として行われる | 求めに応じるかどうかという問題になる |
| 時間の進み方 | 引渡し後の手続の起点になる | 手続の時間としては数えられない |
| 残る書面 | 逮捕の経過が書面の形で残される | やり取りの内容が報告の形で残ることがある |
| 弁護士との関係 | 選任できることを告げられる場面がある | 自分の判断で連絡することになる |
事実が食い違いやすい理由
この場面では、後になって話が食い違うことが少なくありません。次のような事情が重なるためです。
・混雑した車内では、立っていた位置関係を言葉で再現しにくい
・声が上がった時点で人の流れが変わり、居合わせた人が入れ替わる
・時刻の記憶は、駅の到着時刻や乗り換えの記憶に引きずられやすい
・その場のやり取りは、双方が緊張した状態で交わされる
・後から思い出した内容が、最初に述べた内容との違いとして扱われることがある
食い違いがあること自体は、どちらかが事実と異なる話をしていることを意味するとは限りません。ただ、後の手続では、その理由が説明できるかどうかが問われることになります。
弁護士に確認できること
この段階で確認できるのは、次のような点です。
・その場の経過が、逮捕として扱われているのかどうか
・つかまれてから引き渡されるまでの間に何があったかを、どう整理して伝えるか
・すでに述べた内容と、これから述べる内容との関係
・家族や勤務先への連絡をどのように考えるか
・今後の手続で、どの段階に何が判断されるのか
まとめ
・腕をつかまれたことと、逮捕されたことは同じではない
・宣言の有無ではなく、拘束の実質と引渡しが予定されているかどうかで見られる
・現行犯逮捕は令状主義の例外として置かれた仕組みで、明白性が前提になる
・その場を離れようとした事情は、準現行犯の要件に関わる事実として扱われ得る
・私人に認められているのは逮捕と引渡しまでで、取調べや解放の権限はない
・引渡しまでの時間も、逮捕の続きとして扱われる
・駅の事務室で過ごす時間は、逮捕の継続か任意のやり取りかで意味が変わる
・要件を満たしていたかどうかは、後の段階で改めて見られる
その場で何が起きていたのかを、できるだけそのままの形で残しておくことは、後の手続で説明をするときの手がかりになります。もっとも、そうしたからといって、望ましい結果が約束されるわけではありません。まずは、いま自分が置かれている状況がどちらの枠にあるのかを確かめるところから始まります。


