「荷物を運ぶだけ」だった|運び屋の刑事責任と『知らなかった』という主張
ニュースで「仮装身分捜査」「雇われたふり作戦」という言葉を目にして、落ち着かない気持ちになった方もいらっしゃるのではないでしょうか。SNSで見つけた求人に応募してやり取りを続けている方や、ご家族がそうした状況にあると気づいた方にとっては、「連絡を取り合っている相手が警察官かもしれない」という話は、他人事ではないと思います。
この記事では、仮装身分捜査がどのような手法で、どのような条件のもとで行われているのかを、警察庁が定めた実施要領と国会での政府答弁書という公表資料に沿って整理します。そのうえで、まだ何も実行していない応募の段階でなぜ摘発が起こり得るのかを説明します。なお、インターネット上にはこの手法について公表資料と食い違う説明も見られますので、判断の材料にするときは出どころを確かめることをおすすめします。
仮装身分捜査とは何か
仮装身分捜査とは、捜査員が犯罪の実行者の募集に応じて犯人に接触する際に、その捜査員本人のものとは異なる顔貌・氏名・住所などが表示された文書等を提示して行う捜査活動をいいます。この文書等は、実施要領のなかで「仮装身分表示文書等」と呼ばれています。実際には、実在しない人物の運転免許証やマイナンバーカードなどの画像が用いられていると報じられています。
根拠となっているのは、警察庁刑事局長が令和7年(2025年)1月23日付けで全国の都道府県警察に発出した「仮装身分捜査実施要領の制定について」という通達です。実施要領は、目的・定義・対象犯罪から、承認手続、文書の保管方法、被害発生の防止まで、十の項目で構成されています。
「雇われたふり作戦」との関係
通達の本文では、捜査員がその身分を秘して募集に応じ、検挙などにつなげる活動そのものを「雇われたふり作戦」と呼び、そのなかで相手の求めに応じて架空の身分証などを提示する部分を「仮装身分捜査」と呼び分けています。報道では両者がほぼ同じ意味で使われることもありますが、通達上は、作戦全体の呼び名と、そのうちの一場面の呼び名という関係にあります。
新しい法律ができたわけではない
仮装身分捜査は、新たに制定された法律に基づく制度ではありません。警察庁が実施要領を定めて運用しているもので、法的には刑事訴訟法197条1項の任意捜査として位置づけられています。
この点は国会でも取り上げられました。令和7年4月18日付けの政府答弁書は、強制の処分にあたるかどうかについて昭和51年の最高裁決定の考え方(個人の意思を制圧し、身体・住居・財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など)を引いたうえで、通達に基づく仮装身分捜査はこれにあたらず、現行法のもとで令状によらずに実施できる捜査活動であり、新たな立法措置は必要ないとの考えを示しています。
同じ答弁書では、捜査期間中に家族や友人との接触を断ち、公私ともに別人格の人間として生活するような手法での実施は想定していない、とも述べられています。映画などで描かれる長期の潜入とは、想定されている姿が異なります。
架空の身分証を作ることは犯罪にならないのか
実在しない公的な身分証を作る行為は、形のうえでは公文書偽造にあたり得ます。警察庁は、これを刑法35条の「正当な業務による行為」と整理し、違法性が否定されるという考え方を採っていると報じられています。もっとも、この位置づけについては法律で明文化すべきだという意見も専門家から出ており、議論が終わったわけではありません。
対象になる犯罪と、実施の条件
実施要領は、対象と手続を次のように定めています。
| 項目 | 実施要領の定め |
|---|---|
| 対象犯罪 | インターネット等を通じて実行者の募集が行われていると認められる強盗、詐欺、窃盗、電子計算機使用詐欺、またはこれらに密接に関連する犯罪 |
| 実施の条件 | 捜査のため必要であり、他の方法では犯人を検挙し犯行を抑止することが困難と認められる場合に、相当と認められる限度で行う |
| 承認 | 警視総監または道府県警察本部長の指揮のもと、あらかじめ承認を受けた実施計画書に基づいて行う |
| 指揮 | 警部以上の警察官のなかから指名された実施主任官が、従事する職員を指揮監督する |
| 身分証の扱い | 原則として犯人以外の者には提示しない。書面の原本は交付しない。計画書ごとに必要な枚数を指定して作成する |
| 保管 | 書面は他の捜査資料とは別の設備に施錠して保管する。電子データは別のフォルダに保存し、アクセス制限や暗号化などの措置をとる |
| 被害の防止 | 新たな犯罪被害が生じることのないようにし、犯人以外の方の日常生活・社会生活に支障が生じないようにする |
どの事件でも自由に使える手法ではなく、ほかに方法がない場合に、組織としての承認と管理のもとで行うことが前提とされています。
「応募段階で摘発される」仕組み
公表されている範囲での流れは、おおむね次のとおりです。
- SNS上で行われている実行役の募集を、捜査で把握する
- 捜査員が身分を伏せて、その募集に応募する
- 身分証の提示を求められた際に、架空の身分証の画像を送る
- 匿名性の高い通信アプリでやり取りを続け、指示や集合場所を聞き出す
- 集合場所に現れた実行役を検挙し、そこから指示役の特定につなげる
ここで見落とされがちなのが、摘発の対象が募集をしている側だけではない、という点です。実際に逮捕されているのは、同じ募集に応募して集合場所に現れた実行役です。捜査員は募集する側ではなく応募する側に紛れているため、応募者にとっては「一緒に現場へ向かうはずだった相手が捜査員だった」という形になります。
なぜ実行前に逮捕できるのか
犯罪が実際に行われる前でも、罪に問われる場面があるからです。強盗については準備の段階を処罰する規定があり、刑法237条の強盗予備として2年以下の拘禁刑が定められています。詐欺については、未遂が処罰の対象とされています。
仮装身分捜査で逮捕された容疑も、強盗予備と詐欺未遂でした。「まだ何もしていない」というご本人の感覚と、法律上の評価がずれるのは、この部分です。
2025年に何件行われたのか
警察庁は2026年1月、運用が始まった2025年の実施状況を公表しました。
| 区分 | 件数など |
|---|---|
| 実施件数 | 13件 |
| 架空の身分証を示し、集合場所などの具体的な指示を受けた | 7件 |
| 身分証の画像を送った後、やり取りの途中で連絡が途絶えた | 6件 |
| 指示は受けたが、犯罪グループと接触できなかった | 3件 |
| 現場に現れた実行役の逮捕に至った | 4件・計5人 |
| 逮捕の内訳 | 特殊詐欺が3件3人、強盗を計画した事件が1件2人 |
全国で初めての摘発は、2025年5月に警視庁が詐欺未遂の容疑で1人を摘発した事件です。警察庁は、13件のすべてで被害を防ぐことができ、一部は突き上げ捜査によって別の関係者の逮捕にもつながったとしています。
件数だけを見れば、多いとはいえません。ただ、募集に応じてやり取りをしている相手が何者なのかを、応募した側から確かめる方法はありません。連絡が途絶えた6件のように、グループの側も警戒を強めていると考えられます。件数の多寡とは別に、「相手が誰か分からない」という状況が双方に広がったこと自体が、この手法で想定されている効果です。
なお、運用開始後にSNS上の募集が減ったという見方が報道されている一方、政府答弁書は、実施と募集内容の変化との間に必ずしも因果関係が認められるとは考えていない、としています。この点の評価は定まっていません。
おとり捜査との違い
よく似た手法として、おとり捜査があります。平成16年の最高裁決定は、おとり捜査を、捜査機関またはその依頼を受けた協力者が、身分や意図を相手方に秘して犯罪を実行するように働き掛け、相手方がこれに応じて犯罪の実行に出たところで検挙するもの、と説明しています。
仮装身分捜査は、すでに出ている募集に応じるもので、捜査機関の側から犯罪を持ちかけるわけではないという点が、違いとして説明されています。もっとも、実際の場面によっては両者が重なり得るという指摘も専門家から出ています。
実際の事件で争点になりやすいこと
捜査手法そのものの適法性を争うことは、理屈のうえでは考えられます。ただ、仮装身分捜査の適法性を正面から判断した裁判例は、執筆時点で公表されているものが見当たりません。実際の事件で中心的な争点になりやすいのは、むしろ次のような点です。
- 何をする仕事だと認識していたのか(故意の有無とその内容)
- どの範囲で相手と意思を通じ合っていたと評価されるのか(共謀の範囲)
- 準備がどの段階まで進んでいたといえるのか
- 組織のなかでどのような立場にあり、どの程度関与したのか
応募してしまった方・ご家族にとって何を意味するか
- やり取りをしている相手が誰なのかは、応募した側からは分からない
- 指示された場所に向かう段階は、法的な評価がもっとも重くなりやすい
- 被害が現実に発生していなくても、身柄を拘束されることはあり得る
- 一方で、被害が生じる前に止まったという経過は、その後の手続で説明できる事情になり得る
引き返す判断は、早いほど選択肢が多い
警察は2024年10月以降、闇バイトに応募してしまった方からの相談を受けて、本人やご家族の一時的な避難、自宅周辺のパトロール強化などの保護措置を行っています。2025年11月末までに全国で544件が実施され、警察庁は、保護の後にご本人やご家族が危害を加えられた事例は把握していない、としています。相談先は最寄りの警察署のほか、警察相談専用電話(#9110)でも受け付けています。
このとき、やり取りの記録は消さないことをおすすめします。アプリを削除しても相手の手元にある情報が消えるわけではなく、消えるのは、ご自身の経過を説明するための材料のほうだからです。
ご家族が気づいたとき
まず確かめたいのは、どこまで進んでいるのかという一点です。応募して連絡を取っているだけなのか、身分証の画像や住所を送ってしまっているのか、口座やスマートフォンを渡す話が出ているのか、集合場所や日時の指示を受けているのか。責めることが先に立つと本人が話さなくなり、状況の把握がかえって遅れます。特に、指示された場所へ向かうことは止めていただきたいところです。
弁護士に相談してできること
弁護士に相談していただくと、まず、今どの段階にいるのかを事実に沿って整理するところから始めます。応募しただけなのか、個人情報を渡しているのか、準備行為といえるものがあるのか。段階によって、取り得る手段も、その後の見通しも変わります。取調べを受けることになった場合に、事実と異なることを認めてしまうことも、記憶にあることまで曖昧に答えてしまうことも避けたいところで、事前に整理しておく意味はここにあります。
出頭や自首をお考えの場合には、同行することもできます。当事務所では全国での対応が可能です(移動にかかる費用は別途申し受けます)。ご事情によっては、深夜や早朝にお受けできる場合もあります。すでに身柄を拘束されている場合には、即日の接見にも対応しています。ご相談は24時間受け付けており、初回のご相談に費用はいただきません。
まとめ
- 仮装身分捜査は、新しい法律ではなく、令和7年1月23日付けの警察庁通達による実施要領に基づいて行われている任意捜査である
- 通達では、作戦全体を「雇われたふり作戦」、そのうち架空の身分証を提示する場面を「仮装身分捜査」と呼び分けている
- 対象は、インターネット等で実行者の募集が行われている強盗・詐欺・窃盗・電子計算機使用詐欺などで、他の方法では困難な場合に限って行うこととされている
- 2025年の実施は13件、現場で逮捕された5人の容疑は強盗予備と詐欺未遂であり、実行前でも摘発は起こり得る
- 実務で問われやすいのは捜査の適法性より、故意の内容・共謀の範囲・関与の程度であり、早い段階で事実を整理しておくことが判断の幅を残す


