印籠は薬入れ~徳川家康公御生誕480年
どうする家康が始まりました。そこで2022年7月発行のむつごろうむつみ新聞210号の記事を2回に分けて掲載します。徳川家康公御生誕480 年の誕辰祭は昨年行われました。
2022年 12 月 26 日、久能山東照宮で徳川家康公御生誕480 年の誕辰祭(たんしんさい)が催されます。家康公の父君広忠公が、母君の於大(おだい)の方とともに鳳来寺(愛知県新城市)に参篭し、その効あって家康が授かりました。そして天文 11 年(1542)12 月 26 日、寅の年(今年と同じ壬寅)・寅の日・寅の刻に誕生しました。家康誕生の折に、鳳来寺から普賢菩薩真達羅大将(しんだらたいしょう)の像がこつ然と姿を消したそうです。寅の神鉾(しんぼう)を持って立つ普賢菩薩真達羅大将は諸悪を降す戦の神ということで、家康こそ普賢菩薩の生まれ変わりだと岡崎城下が喜びの声にわいたというエピソードが大河ドラマ『徳川家康』(1983年放送)でも放送されました。鳳来寺への道のりは 1400 余段の石段でした。お参りすることで骨が刺激され、精力などがアップする「若返り物質」として働くオステオカルシンが分泌され、その効果もあり家康公を授かったのではないかと感じました。
鳳来寺がある鳳来寺山は「煙巌山(えんごんさん)」と呼ばれていました。第 42 代文武天皇(在位 697 ~ 707)が重い病気にかかられた時、草砥鹿公宣卿(くさかどきんのぶきょう)が勅使として煙巌山に使わされ、鳳凰に乗って都に行った利修(りしゅう)仙人が快癒祈祷を続け病気全快に至りました。703 年に仏閣が造立された時、そのお礼に鳳来寺と命名されたと伝えられています。公宣卿が煙巌山に行く時に、三河の山中で道に迷ってしまったのですが、出現した老翁の導きにより無事にたどり着くことができました。病が平癒された天皇はこの老翁に礼を尽くすため、再度この地に勅使を使わされました。そして老翁の望みにより山麓に宮居を定めたのが砥鹿神社の奥宮で、老翁が抜き取った袖が留まった所が砥鹿神社の里宮になったそうです。砥鹿神社は三河国の一之宮です。車のお祓いが多いようで、本殿の前の車両お祓い所には、それを目印に車を留める玉串(?)が結わえられた角材がたくさん並んでいました。玉串といえば榊というイメージなのですが、榊ではなくナギの木でした。本殿の左右にナギの木が植えてあることは直接伺いました。ナギの木は雄の木と雌の木があります。豊川稲荷では雄のナギの木にたくさんのが花が咲いているのを見ました。
その2に続く