上町断層帯の危険な兆候
4月15日のコラムで、熊本地震が中央構造線の延長線上にあるので近畿も対岸の火事ではありませんと、書きましたが、Wipediaの慶長伏見地震の記事に気になる箇所を見つけました。下記にその抜粋を掲載いたします。
【慶長伏見地震の概要】
現在の京都・伏見付近の有馬-高槻断層帯、及び六甲・淡路島断層帯を震源断層として発生したマグニチュード(M) 7.25-7.75程度と推定される内陸地殻内地震(直下型地震)である。地震による死者数の合計は京都や堺で1,000人以上を数えたと伝えられており、完成したばかりの伏見城天守もこの地震により倒壊し、城内だけで600人が圧死したと言われている。
京都では東寺・天龍寺・二尊院・大覚寺等が倒壊し、被害は京阪神・淡路島の広い地域に及び、大坂・堺・兵庫(現在の神戸)では家々が倒壊した。又、現在の香川県高松市でも強震を伴ったとされている。
木津川河床遺跡・内里八丁遺跡(八幡市)等では顕著な液状化跡が見つかり、玉津田中遺跡(神戸市)や田能高田遺跡(尼崎市)等で、液状化現象が発生した痕跡がある。又、今城塚古墳(高槻市)と西求女塚古墳(神戸市灘区)における墳丘の地すべりは、この地震による地震動によるものであると推測されている。また、現在の徳島県鳴門市の撫養地区で生じた隆起は、塩田開発の契機となったと考えられている。
この地震による著名な死者としては加賀爪政尚、横浜一庵がいる。
【別の地震との関連】
この地震の4日前には現在の愛媛で中央構造線を震源とする慶長伊予地震が、また前日には現在の大分・別府湾口付近で別府湾-日出生断層帯の東部を震源とする慶長豊後地震(共にM7.0と推定)が発生しており、双方の地震による誘発地震の可能性が指摘されている。これらの天変地異が影響して、同年中に文禄から慶長へ改元が行われた。また、兵庫県南部を中心に甚大な被害となった1995年の兵庫県南部地震(M7.3)は、本地震で破壊された六甲・淡路島断層帯における地下深くの滑り残しが原因で発生したとする説が発表されている。
Wikipediaは誰が記事を書いたか文章の出自が不明ですが、文献に残っている事象については大きな間違いが無いと考えるのが自然だと思います。以前がそうであったから今回も必ずそうなるとは限りませんが、私の心配が杞憂で無い事がお判り頂けると思います。