古代地図と軟弱地盤
岩手県と云えば、松島から続くリアス式海岸のイメージがありますが、宮古市から北はリアス式海岸よりも海岸段丘が発達しています。
リアス式海岸も海岸段丘も、縄文海進や氷河時代と云った海水の増減で地形が形成されたとされていますが、地形の形状は全く異なります。平野部が沈降上昇と繰り返せば海岸段丘となり、山岳部が沈降すれば、リアス式海岸となるのでしょうか?
平野が形成されるには山岳部からの土砂の流入が不可欠です。山岳の形成も雨水の影響が不可欠です。自然に考えれば山岳部があって平野が形成されて海につながると考えるのが自然です。山から直接海へと連なるには、海水の増減だけでは説明がつきません。
リアス式海岸沖の海の中には、元々平野が形成されていてそれが、何等かの原因によって消滅し、そこへ海水面が上昇してリアス式海岸が出来たのではないでしょうか。
何等かの原因とは地震による地盤沈下ではないかと考えています。東日本大震災後、港が満潮時に水没してしまう映像を見ています。平野全体が水没するような、想像を絶する大地震が人間が住み始める以前に起こっていたのではないでしょうか。
そう考えると、三陸海岸や伊勢の志摩半島と云った有名なリアス式海岸が太平洋側に点在する説明がつきます。
平野が消滅するほどの巨大地震の可能性を、地質学の観点から固定概念を払拭して検証すべきかと思います。