戦争と平和
東京電力福島第1原発1号機で格納容器の圧力を下げるベント(排気)が失敗した可能性が高い問題で、東電が5月に経済産業省原子力安全・保安院に提出した解析結果の中で「格納容器ベント弁閉止」と記述していることが分かった。
自ら失敗した可能性があることを事実上認めているにもかかわらず、その後も東電側は「(弁は当時)開いたままになっていると思われる」などと会見で説明しており、改めて説明責任が問われそうだ。
という毎日新聞の記事を読んで、「ああ、まだこの国は、お家の大事でござる!の精神が残っているんだなあ。」と強く感じました。
きちんとした事実関係を説明すると、事実に即した責任を問われることになり、お家の大事を招くことになるんでしょうね、きっと・・・。
計器が示すデータはデータとして記し、現実は憶測をもって、安全確保していたはずだと認定するわけです。
「殿が逝去したのが諸侯に知れれば、お家の大事になるは必定。ここは暫く内密にし、もってその間に根回しを急がねばなるまい・・・。」との家老の一言。
まるでそんな時代劇を彷彿するような曖昧な会見に終始しているかのような東電の姿勢。
データに裏打ちされた危険よりも、曖昧な安全を選択するほうが、責任を問われなくて時間稼ぎが出来るという事なのでしょうか?
その間にいろいろな根回しが出来て、お家の大事を最小限にすることが可能だとでもいうのでしょうか?
子供の目を持って、裸の王様を指摘する勇気が持てないのであれば、この国の未来は切り開かれないでしょう・・・。
「足と靴の相談室」ロビンフット長津田 http://www.robinfoot.co.jp/