人それぞれの墓じまい
庵治ストーンフェアの当日に地元のテレビ局でニュースが流れたらしい
お昼ごろの事とのこと
そこで何が起こったか?
午後から一般来場者がちらほら
しかも映像に映った墓石が気になり直接見たくてきたという人も見受けられた。
話を聞いていると、結構お墓のことに詳しかったりする。
そこも面白かった。
対応していた出展社の方々は自分の言葉でしっかりした対応をしていたが
その出展者の方はどちらかというと加工職
小売りは時々という
産地の方々はそういったしっかりとした言葉で消費者に伝えているが
いっぽうで、まちの小売店はどうだろうか?
自分の知識のない石は「もうない」と言い、形の事や金額のこととなるとその場で答えることもできない
あわよくばネットで知識を得てきたお客様の智識量の方が上回っていたり。
明らかに「もの」として扱ってきたからこんな事態なのだと思う。
しかも卸の方が一般消費者と話をすれ「小売りを始めたならもう取引しない「」とすごんでみたり。
今のこの混沌は小売店が作ってきたものだということに今一度むきあい
生活者の今の現状における、石材店としての提案を見せていかねばいけないとおもう。
産地の展示会はそういった意味では、エンディング産業展などと違い、その他の納骨方式とあまり比較されることもないから、なんとなく緩やかに時は流れていた。
ただ、供養という大きな括りの展示会に来た時に、たぶん石だけが並んでいるように見えるだろうなということも感じる。
お客様は基本何も知らない中で、いろんな石や加工品が並んでいてもそれを見分ける目を持っていないのだ。
だから「石が並んでいるだけ」という見方をしてしまう。
あわよくば私も最初のころは送であったが、石材店でも初めていろんな石に触れ、生活者と何ら変わらない感想を漏らすものもいる。
本当の意味での過渡期に来たと今回の展示会はおもった。
明治から続くいまの先祖代々のお墓の流れはいよいよ大変革となる。
セキザイテンとしてどこにシフトし舵をきるか
悩んでいる時間はなさそうだ