縁 を考える 生きていく流れのなかの縁 その5
情操教育の場 啓蒙
時々業界内のメディアではこの言葉を見かけるし、外向きにも時々見ます。
一般の方はこれをどう見るのでしょう?
素晴らしいと思う人もいれば押し付けに感じる人も。
根本には情操教育の場でもありますが、一般の方が求めているのはその言葉なのでしょうか。
マニュアル化しているので、マニュアル外のことは・・・
地域によって慣習もそれぞれ、人もあちこち移動し少しずつ慣習的には似通ってもどこかちょっと地域色があったり
それも最近薄れてきている供養の習慣
お墓や供養のことのマニュアルって地域差もありそもそも作りづらいから、ひとくくりにお墓参りをしましょう、情操教育の場ですとなるのかもしれない。
でももっと突っ込んでそもそもなんで先祖と供養しなきゃいけないの?という人が増えている。
身内や親せきですら浅い関係になりつつあるのでその色は濃くなるし、長寿化も手伝いなかなか人の死に触れることすら減ってきたのも原因にはあるかもしれませんが。
なにより供養は当たり前とその上に胡坐をかいてきた私たち業界もよくなかったのでしょう。
いま慌ててそれを難しい言葉で伝えに行っていることに対し抵抗を感じる一般の方は多いと思います。
でやらないほうがは良いのかとすぐになるのですが、せっかくその気になったのでよりわかりやすく永続的に問うていくというのが私の中の正解です。
生きている人を大切にする
そもそも関係が薄く、よくわからない人を供養しようというのもなかなかできないのかもしれません。
もう一度再構築するために、生きている人との関係をより深めることのお手伝いが大事かなと
更には小さな子供たちは国の宝でもありますが、私たち業界にとっても繋いでいってくれる大切な宝です。
情操教育の場だからと投げるだけではなくて、教育の場に私たちが入っていき、人との関係、先祖との関係をお話ししていかなければ伝わらないかと思っています。
身近な人を大切にする人を育てる、当たり前かもしれないけどあえて踏み込んでみようと思います。
大好きな誰かが亡くなったとき、人は自然に供養ができるのです。
根っこに取り組みます。