お骨の行く先2016 多死社会と人口減少
一昨年あたりからメディアではかなりの頻度でお墓についての特集を組むようになったかに思える。
それ以前ももちろん盆や彼岸などには折に触れてお墓の話などは出てはいたのですが。
今年、多様性という言葉がさらに多く聞かれるようになった
きっかけは昨年末に行われた第1回のエンディング産業展かもしれない。
テレビ系のメディアはこぞって取材し、業界内の見本市がメインだった供養産業にエンディング産業という表現で広く一般の目を向けさせたからだ。
そこまでに並行して育ってきた言葉「終活」が認知され、どちらかというと「私らしく」という「個」の希望を叶えるものとしてとらえられがちになってきた矢先のタイミングで、今までひっそりと浸透してきた様々な葬送手段を多くの方が目にしてしまったということも考えられる。
そもそも多様性とは言うけれど
見え方は多様になってきてはいますが昭和23年に制定された墓地埋葬に関する法律では、葬り方として定義しているのは
「埋葬」
「埋蔵」
「収蔵」
の3つ
で埋葬に関していうと、ほぼ「土葬」というのが前提であるので、新しいものは生まれないので
「埋蔵」と「収蔵」が変化しつつあるということで。その2つの枝が多様化していると言えます。
そしてその昭和23年の時に想像すらしていなかった定義が「海洋散骨」などを代表とする自然葬の分野だということになります。
実際には4年ほど前から新しい形態は続々と
メディアに取り上げられるようになったことで選択肢がひろがり今決めようという人は増えていますが、ちょっと待ってください。
というのもこう言った新しい勢力も含め実際には2000年頃から少しずつ増え始め、4年ほど前からネットを扱える世代が幅広くなるのと合わせて認知され利用者を増やしてきました。
ただ、まだせいぜい15年。法律的にはグレーの部分を残し進化しています。
業界も良心のある方もいれば、もちろん今がチャンスとイケイケの危なっかしい方もいたり。
良心のある方たちは法整備を含め団体を作り動き出してもいます。
ということでまだまだ変わっていくことは間違いありません。
今のはやりで選択をする必要はなさそうです。
多様性とは言うけれどそれほど多くもなく、私の中では、向き合える場所に納めるのか、生きているものの都合で納めるのか、亡くなったものの希望を叶えるのか、なかったことにするのかという4つのパターンではないかと思っています。
ということで次回以降は2016に私なりに感じている「埋蔵」「収蔵」に関するお骨の行く先がどんなものが動き出しているのかをちょっと書いてみます。
その分野で気になっている霊園などにまだ取材(何者だ?と突っ込まないでください)ができていないので、リアルなコメントは今後見学したときに加筆していくようにします。