マイベストプロ石川
上野峰喜

環境に優しい電解水や食品資源リサイクル機器のプロ

上野峰喜(うえのみねき)

株式会社金沢テックサービス

コラム

謎多きレオナルド・ダ・ヴィンチを紐解く その人物像

2019年11月25日 公開 / 2021年3月2日更新

テーマ:世界の文化・芸術

コラムカテゴリ:くらし

今年、レオナルド・ダ・ヴィンチが67歳で没してちょうど500年となる。
いま世界各地で、その記念展覧会やイベントが開かれ
特集した番組、書籍等も数多く出されている。

このコラムでも、何回に分けて、その「謎多きレオナルド・ダ・ヴィンチ」に迫ってみたい。




            
500年前の日本は?というと、室町時代が終焉を向かえ下克上から戦国時代に
移り変わろうとしている時代であった。
そのような時代に、ヨーロッパではルネッサンス花盛りで、その中心的人物が
ダ・ヴィンチであつた。

ダ・ヴィンチは非嫡子として生まれ育ち、十分な教育を受けることはできなかった。
それは、彼にとって大きなハイディでもあったが
しかし、学習意欲と好奇心旺盛なダ・ヴィンチは独学で知識の習得に、人一倍の心血を注ぎ努力した。

彼が残したメモ(手稿)には、50歳前後の時には、116冊の蔵書を所有していたと書かれている。

この時代は、印刷技術が未熟でほとんどが写本で、今の価値に換算すると
1冊は100万円前後ともいわれている。1億1,600万円の蔵書ということになる。

 
現存するダ・ヴィンチが残した手稿

その蔵書の中には、当時の誰もが習得していたラテン語の初期文法書や
子供が習うソロバンの教科書なども含まれていた。

大人になっても、ダ・ヴィンチは、自身に欠けている能力を補う姿勢を
常に怠らなかったのである。
還暦になっても、その姿勢は衰えていなかったそうだ。
その逸話として・・
20代で大学教授となった若き解剖学者に、60歳になった彼は弟子入りを願い出ているくらいだ。

そんな謙虚な姿勢と、学習意欲、好奇心が、「無学の男を天才」に変えたのかもしれない。

この記事を書いたプロ

上野峰喜

環境に優しい電解水や食品資源リサイクル機器のプロ

上野峰喜(株式会社金沢テックサービス)

Share

関連するコラム

  1. マイベストプロ TOP
  2. マイベストプロ石川
  3. 石川のくらし
  4. 石川の生活サービス
  5. 上野峰喜
  6. コラム一覧
  7. 謎多きレオナルド・ダ・ヴィンチを紐解く その人物像

© My Best Pro