街角で見かけた、発想の転換を促す一言
ラグビーワールドカップ、22日に日本チームは決勝トーナメントで南アフリカと戦った。
次のステージに立つのは、4年後の楽しみとしたい。
ちょうど3年前のこの日、あの闘将・平尾誠二が癌でこの世を去った。
少年時代は、もともと野球をやっていたが中学入学と同時にラグビーを始めた。
野球部は部員が多く、隣のラグビー部は楽しそうに練習していたからという理由である。
その後、その才能は開花し高校は、特待生として名門花園高校に内定していた。
しかし、あの伏見工業高校の名将山口良治が、平尾のプレーにほれ込みスカウトする。
3年生の時には、同校が全国初優勝を成し遂げる。
高校卒業後は同社大学に進み、史上初の大学選手権3連覇に貢献。
強豪ラクビ―チームを有する多くの企業から誘いを受けるが
以前から希望していたデザインを、勉強するために誘いを断り英国に渡る。
しかし、ファッション誌にモデルに登場したことが、当時のアマチュア規定に
抵触した理由によりアマチュア資格の停止の通告を受ける。
その将来を閉ざされ苦悩する平尾を救ったのは、たまたま英国へ出張に来ていた
神戸製鋼の専務で、平尾は相談する機会が出来る。
それが縁で、神戸製鋼に入社が実現する。
その後の活躍は、今更言うまでもない。
スーパースター平尾誠二の人生は、波乱万丈で余りにも急いだものだった。
決勝リーグの試合を一番見たかったのは
この日命日を迎えた平尾誠二自身だったかもしれない。