忘れかけていた風景が、そこにはあった
先日のコラムでもご紹介しましたが、9月13日は加賀前田家二代藩主前田利長が
高岡に入城にした日で、地元では「開町の祖」と呼ばれその遺徳をしのび
今年も18代当主の前田利祐氏ご夫妻を招き、顕彰祭が行われました。
そして、普段は立ち入れない国指定史跡となっている前田利長墓所は
その日1日に限り一般公開されます。
筆者も訪れてみましだか、巨大な石の建造物と言えるもので、土台に使われている
巨大な戸室石の存在感には、まさに圧倒されます。
これだけの数多くの巨大な戸室石を、戸室山(金沢)から運び込んだ加賀藩の財力と
土木技術力には、今さらながら感心されるばかりです。
この財力と土木技術力は、現在も皇居内に残る江戸城・天守閣跡の石積工事には
加賀藩が普請し、その「加賀の力」として今も開花しています。
今も残る江戸城天守閣跡の石積
前田利長石廟本体には狩野探幽が下絵したと伝えられる、130枚の戸室石製の
蓮華陽刻がいまも現存していますが、その中で1枚に限り違う絵柄で刻まれています。
なぜ、1枚だけ違うのか? その理由は今もって不明とのことで
狩野探幽が後世に何かを伝えようとした、無言のメッセージとして感じ取られます。
狩野探幽は1枚に限り違う絵柄を刻む (上段中央)
前田利長と狩野探幽も、まさに「精霊の伝え人」と言えるでしょう。