「危機管理」から見る「驕れる者久しからず」
池坊華道会は、前回号の金剛組が創業した年より9年後の587年に、聖徳太子が四天王寺建立のための用材を求めて京都を訪れた際に、霊夢によってこの地に六角の御堂を建て護持仏を安置したことに始まります。
六角堂の北面には聖徳太子が沐浴したとされる池の跡があり、この池のほとりに小野妹子を始祖と伝えられる僧侶の住坊があったことから「池坊」といわれるようになりました。
その後、池坊の僧き、頂法寺(六角堂)の執行(しぎょう)として、六角堂の本尊如意輪観音に朝夕花を供えることが、1431年後のいまの「華道・池坊」へとつながって行きます。
歴代の家元により「立花」が大成されましたが、その時代にあわせて「生花」「自由花」を色々な様式を創出と確立によって、全国に門弟を拡げていきました。
華道の世界でもその時々を生き残っていくために、イノベーションの連続であったようです。
六角堂内にある礎石は、「京都のおへそ」(中心)としても親しまれています。