「摩擦をとる」
陰陽中庸の時を過ぎ、日ごと昼の時間が短くなっていきます。
そんなきょうは十月三日、葉月二十四日。
夜空には下弦の月がかかります。
七十二候は48候「秋分 末候 水始涸(みずはじめてかるる)」。
稲刈りのために田から水を抜くころとなりました。
度重なる台風到来などで、稲が倒れ稲穂が水に浸かったところも、
枝木折れ、果実落ちて、秋の実りを受け取れない・・・そんな方々も
多くおられることでしょう。
日本津々浦々で、毎年五穀豊穣の祈りが捧げられ続けているのは
このように、自然災害の多い国ならではなのかもしれません。
先日、ノーベル生理学・医学賞を受賞された本庶 佑(ほんじょ たすく)氏は
「果実は、大学に返したい。」とインタビューで話されていました。
長年の研究により自身が手にされた実りは「後進の育成の育成のために使いたい」と。
ややもすれば、花よりも先に実を手にしようする時代の流れの中で
この言葉がこころのなかで光りました。
今年は、楽しみにプランターに植えていた苗なども
猛暑と、暴風雨に曝されて、思うように育ちませんでした。
暴風で傷んだ枝を摘み、残りに期待しましたが育ちませんでした。
取り置いた種も濡れ、流れてしまったので、
来春のこぼれ種に期待しています。
先日の雨の後、プランターに小さな芽吹きがありました。
けれど、タイミングが合わなかったようです。
自然の中では、雨を得て季節外れに芽吹くことがよくあります。
多くはしばらくして涸れたり、緑のまま落葉していきます。
しかし、それらは決して無駄なものではなく
気候変動の中でも、種を後に残す可能性のための芽吹きだと感じています。
私たちも日々の中で、運よく果実を手に入れられることもあり
いくら身を尽くしても、手に入れられないこともあります。
けれども、その一つ一つが、可能性の種なのです。
時節が合わなかったり、道の途中のこともあります。
あるいは進んでいる道が違うということもあります。
そして、人と自然との違いがあるとしたら、
「我欲」の有無でしょうか。
2015年ノーベル医学・生理学賞受賞の大村智氏のことも思い出します。
お祖母さまからいつも教えられていたと話されていました。
「人のためになりなさい」
「五穀豊穣の祈り(2018-02-16)」
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/63303/
「祈りと稲魂(2017-11-23)」
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/61337/
「さくらと祈り(2018-04-05)」
https://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/2863926/
「聞し召す(2017-02-05 )」
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/60223/
コラム一覧 :The Sence of Wonder
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/?jid=1100