かけがえないこの命。
きょう平成三十年五月二日は、旧暦では弥生(やよい)十七日。
七十二候では18候 「穀雨 末候 牡丹華(ぼたんはなさく)」。
立春から八十八日目、「八十八夜」です。
子どもの頃、「茶摘み」を歌いながら手遊びをしていました。
今の子どもたちも、日常の中で手遊びをしていますか。
今日の天気予報は、所により激しい雷雨ということ。
思いがけない・想定外の自然の動きのある この頃です。
情報と、いつもと何だか違う・・と感じる感覚が大切です。
先日の熊野巡りの、那智大瀧に向かう途中
2011年9月の「紀伊半島大水害」の折の、水位標識がありました。
(白い車の手前に、人が立っています。その横に標識・慰霊碑があります。)
鉄砲水は那智川の巨巌を押し流し、堤防を越えて市野々地区を破壊した。
と記録に書いてありました。 参考)http://apolohal.jp/kumaJ.htm
那智川流域は、高い山と川の間に集落がありました。
鉄砲水があの高さまで襲ってきたら、逃げるところは無かったであろう
大変な災害だったと、実際に、あの場に立って解ったのでした。
瀧に向かう途中、
あれから7年たった今も、砂防堰堤の工事が進んでいました。
案内の方によると、土石流が発生した場所ということでした。
窓の外を見ながら、
「ここもか、ここもか・・・」と、本当にこんなに沢山の箇所で
土石流が発生したのかと暗澹とした気持ちになりました。
新緑の美しい熊野の山を眺めながらの移動中
杉の多いことが気になり、質問しました。
すると
熊野の山の多くは伐採により、はげ山になった。
と教えてくださいました。
その後に、杉が植林されたのだそうです。
また、あの山は土砂崩れ?ですか?と、大きく岩肌がみえる山を見て問うと
そこは、
「熊野が世界遺産になるまで石切場だった」ということでした。
わたしたちは、古くから熊野(紀伊半島)の森林から
沢山の自然の産物を得てきたようです。
わたし達が訪れた日の那智大瀧は、前夜の強い雨の影響で
通常の倍の水量がありました。
人工林には保水力がない、とも伝え聞きます。
水の有難さと、恐ろしさを感じた
那智の道でした。
「熊野巡り~引作の大楠~(2018-04-29 )」
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/64127/
神さまに対する畏れ~ご神木、突然の立ち枯れ~
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/33196/
『喪失と悲しみの心理3(2011-03-20)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/18291
コラム一覧 :HEAL THE WORLD
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/?jid=464