防災と、わたし
昨夜見上げた空は曇っていて、星は見えませんでした。
「流れる星は生きている」という言葉が、作中にはじめて登場した部分を
引用いたします。
☆*☆*☆
「だれも知らない歌を、ご紹介しましょうか。」
といって(保安隊の)金さんはある晩、ほんとにだれも知らない歌を紹介してくれた。
「南方にいたとき、わたしの部隊の兵隊が作詞して、別の兵隊が作曲したんですがね。
二人とも終戦まぎわに死んでしまいました。」
(略)
歌は三小節から成っている、かんたんなものであったが、
何か、わたしたちをひきつけてはなさない魅力を持っていた。
わたしの胸に咲いている
あなたのうえたバラの花
ごらんなさいね 今晩も
一人で待っているこの窓の
星にうつって咲いている
わたしの胸に泣いている
あなたの呼んだあのお声
ごらんなさいね 今晩も
二人でちかったあの丘に
星はやさしくうたってる
わたしの胸に生きている
あなたのいった北の空
ごらんなさいね 今晩も
泣いて送ったあの空に
流れる星は生きている
引用:『流れる星は生きている』 1982年7月 第9刷 P63-65
☆*☆*☆
藤原ていさんが、生きて戻られ
この作品を世に送り出してくださったおかげで
上の歌が、この世界に残りました。
平成17年の、皇后陛下お誕生日に際してのお言葉に
眞子内親王殿下と『流れる星は生きている』との繋がりを見つけることができます。
【今年の夏,陛下と清子と共に,満蒙開拓の引揚者が戦後那須の原野を開いて作った千振開拓地を訪ねた時には,ちょうど那須御用邸に秋篠宮と長女の眞子も来ており,戦中戦後のことに少しでも触れてほしく,同道いたしました。眞子は中学2年生で,まだ少し早いかと思いましたが,これ以前に母方の祖母で,自身,幼時に引揚げを経験した川嶋和代さんから,藤原ていさんの「流れる星は生きている」を頂いて読んでいたことを知り,誘いました。初期に入植した方たちが,穏やかに遠い日々の経験を語って下さり,眞子がやや緊張して耳を傾けていた様子が,今も目に残っています。
出典:宮内庁ホームページ
(http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h17sk.html) 】
終戦時、海外には軍人・軍属・民間人を合わせ、
約660万人の日本人がいたと言われます。
その中でも、満州や朝鮮半島北部にいた方々は
悲惨な目に遭われます。
『流れる星は生きている』作中にも、
病人以外の45歳以下の男性が集められ、連れて行かれ、
「墓場から出てきた人の姿で、かえってきた」ことが書かれています。
また、引き揚げから故郷に帰った藤原ていさんご自身の姿は
「墓場から抜けだしてきた、幽霊そのままの姿であった。」
と書かれています。
今、ここに存在できている私たちは
戦中戦後を生き延びることができた命を
受け継いだ者なのです。
生きたいと願って、叶わなかった多くの命の
今日を生きています。
今日の無事を感謝し、明日の平和を祈ります。
明日も平和な地球に目覚めることが出来ますように。
引用:『流れる星は生きている』 作者:藤原てい 偕成社文庫 1982年7月 第9刷
参考:2017.8.14.読売新聞 13版 特別面
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「祈り(2017-08-07)」
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「とんぼ(2017-08-15)」
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「 流れる星は生きている 1(2017-09-04)」
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「HEAL THE WORLD」 Michael Jackson 和訳付き LIVE with Lyric
https://youtu.be/Dxfqi2bPO1o