【マズローの欲求の階層説】
今年の蝉は、おとなしいなぁ・・・と思っていたのですが
台風が去ってから、元気に鳴くようになりました。
それでも例年の、蝉時雨の勢いがないようには感じます。
自然の中の動植物は、大きな営みとしての自然の気配を上手く感知して
調整しながら生きているのかもしれません。
暫く自分の中にしっくりしないものがあって、
それをどう捉えればよいのかを考えていました。
わたしたちは、今の日々の生活を送る中で
何故、自分はこのような不条理なところにいるのだろうと思う時があるかもしれません。
例えば
庭にしげるペンペン草と、花壇のバラのようなイメージでしょうか。
けれども、これには様々な見方があります。
ペンペン草を、雑草としてみるか薬草として見るかで異なってきます。
うらさびたイメージを持たれがちな、ペンペン草(ナズナ)には
熱病やむくみの改善、肝機能の促進、婦人科系への効能などがあります。
それらを求める方には、必要な存在です。
また、華やかで香りのよいバラが、手入れの行き届いた花壇で咲いているさまは
それを求める方には、心地よい時間と空間を与えてくれます。
どちらもが、必要な存在と言うことでは同じなのです。
それが必要か、必要でないかは
求める人が何を欲しているかで異なるだけのことです。
自然界にあるものは、お互いに影響しあい
何らかの意味を持って、存在しています。
それは様々な境遇に居るわたしたちも、同じなのだと思います。
その場所で、いかに自分自身を生かすかは、
自分自身のこころのあり方と関係しています。
とは言っても、がんばれる時ばかりではありません。
ひとりで歩けない時は、歩けるようになるまで杖になるものが必要な時があります。
そしてその必要な杖は、ひとりひとり異なっていて
誰もが、誰かの杖になれる可能性があるのです。
必要でない人は、いないのです。
『生まれてくること 生きていくこと(2010-05-28 )』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/9902/
『わたしは何故ここにいるのか (2010-06-07 )』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/10170/
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