喪失と悲しみの心理 2
わたしはどちらかというと、無宗教に近いですが
身の周りに気配として存在している、八百万(やおよろず)の神々を
幼いころから感じて生きてきました。
ここ数年、縁あってキリスト教の話を聞く機会があるのですが
その見えないものの存在を通じて、自分自身を振り返る機会を得ています。
「真理」とでもよばれるものの根底に流れるものは、様々なものの中でほぼ共通で
それぞれが入りやすい扉を開けて入り、近づいて行くのだと思います。
一神教と言われるものは、全ての役割を背負って下さっているのですね。
日本はどちらかというと、多神教で役割分担があります。
目的に応じてお参りするところが違ったりしますので・・・
かつてはそのことが、世界の中では奇異に見られていたようですが
今はその『あれもこれも』という在り方が、他者の生き方も大切にするということで
現代の多様性の中で生きていくためのヒントになるとみられているようです。
自分の思考を押しつけることなく、お互いを認め合い共存していく生き方。
しかし、そのなかで生きていくためには
かえって自分自身というものをしっかり持っておく必要があるように感じます。
それは5月18日に書いた、『人生の下書き』に通じるものもありますが・・・
受容と許しのこころを持ったうえで、事の善悪はしっかりと明確に持っておく。
(最低限 人のものを盗ったり、人に傷を負わせたり・殺してはいけません!)
それらのことがあってこそ
多様性の中での、自分らしさが光るのだと思います。