【マズローの欲求の階層説】
名詞形で言われると
もう改善も、弁解の余地もないような気になってしまします。
先日のコラムの「マリッジブルー」も
誰かに説明するのには一言ですんで簡単ですが
そこから動けなくなってしまうような気もします。
同じことを言うにしても動詞形にすることで
全体についたイメージをほぐし
具体的な解決方法を考えて行くことができます。
たとえば、昨日のコラムの中で言うと
結婚を機に、仕事を辞めたとします。
何かの機会にアンケートなどを記入するときに職業欄で
「無職(名詞)」を選択するとき
(主婦・主夫なんていうのもありますが・・それが職業なのかどうかはよくわからないのですが)
もしかすると、それまで仕事に深い思い入れがあれば
わたしは無職なのかと・・・自分自身にレッテルを張ってしまうことになるかも知れません。
けれどもそれを
「仕事をしていない(動詞)」に置き換えることで
それは、自分の中の一部分であって
今、仕事をしていないということは、機会があれば変えることができるのだと
柔軟に考えることができるようになります。
同じように 「不登校」や「ひきこもり」なども
「学校に行っていない」
「自分の部屋にいる時間が長い」
のように、それぞれにあった動詞形に変えることで
その人すべてに、レッテルを張るのではなく
それはその人のある一部分であり、
その部分を、スモールステップでかえていくいくことで
動かせる可能性があると、考えることができるようになると思っています。