開脚から痛みなく脚を回す意識付け
人の体のつながりを借りて感覚を実感する
なかなか思うようにいかない状態の時
つながりを得ている人の力を借りると
自分自身の体の流れのつながりを感じることができる。
昨日のレッスンで。
この方はひと月前にふくらはぎの肉離れ。
今までにも繰り返されている。
体幹を意識されてはいるが、意識が変わってしまい
いい状態を継続できない。
体幹から脚への流れがなくなって、脚だけで走ることになり
体幹もぶれてくる。
体幹の中心から前後に脚を分けるにも
骨盤と脚は分けられない。
体幹の底は下にしか向いていない。
できないのでなく、意識がそちらにいかないのだ。
まず、人の肩甲骨からの流れを感じてもらい
促されてもらう。
肩甲骨からの流れが少し感じられるようになって
体幹の底の向きも変わってきた。
更に片手で壁と他者の力を借りた。
今までに感じられなかった明確な位置感覚と安定感ができてきた。
脚、足まで流れがつながっている。
壁に向かって体幹の底まで流れを通し、脚、足までつなげる。
体幹の底は左右同じ方向を向いて
中心から分けられただけでなく
脚に無駄な力がかかっていないので
柔らかく張りのある筋肉になっている。
この後はランニングフォームの改善も無理なく軽やかに進んだ。
だからといって、すぐにそれができるようになるわけではない。
まだ人のつながりを借りて感じられたことだから
自分の中で、つながりの感覚を自分のものとするのに
時間がかかる。
更に長い時間走っている時にも継続できる状態になるまで
もっと時間がかかる。
それでもいったん感じた感覚は
できないことではないと実感できる。
本当に自分のフォームを改善して行こうと思えば
レッスンや独自の練習、その時だけでは決して自分のものにはならない。
生活の中のあらゆる場面で、意識をして
感覚を覚え、自分のものにしていかなければ
ランニングの時だけに活きることはない。
何度もこのコラムで繰り返し言っているように
毎日の生活でできないことは、いざというときにもできない。
間違いなくできることには揺るがない裏付けがある。
努力が実を結ぶのは、それにつながることが脈々と
毎日の行動に結びついているかどうかだ。
できるときだけする、では間に合わない。
小さなこと、確実にできることを毎日無理なく必ず、を
繰り返す。
人との競争ではなく、自分自身と向き合うことになる。
それは何か月も繰り返されて、芽ができ
何年も継続されて若木になり
何十年繰り返されて、人が目を見張るような大木になる。
自分に向き合う年月と
向き合うことのない年月
違いが出て当たり前なのは、誰にでもわかる。
同じ年月ならどう過ごすかは自分次第。