坐骨を中心に寄せる感覚シミュレーション
自分の成長限界点を超えることの怖さ
昨日、一昨日の東京でのWSの様子を書こうと思っていたが
写真の整理が追い付かない。
今日は東京で初めてWSをした時から
ほぼ毎回来て下さる方からお聞きしたお話を書いてみようと思う。
この方は体を扱うことの指導をされている方だが
1年前辺りには、ご自分でこうだと思っていたことが違うのを
私に指摘されて、随分落ち込まれたと言う。
一生懸命やっておられるのは伝わってきたが
おざなりにそれでいいとは言えなかったので
正直にそうではないと言ったのだが
とても落ち込まれたことはわかっていた。
気にはかかったが、私がどうしてあげられるものでもない。
それはご自身で整理して乗り越えなければならないところだ。
それから半年くらいすると、
こちらがびっくりするくらい変化された。
ご自身でつかんでいかれたなと嬉しく思っていた。
今回、ゆっくりお話しできる機会があり
お聞きすることができた。
うまく進まず、おもうようにいかないとき
このまま続けて行って自分はどうなるのだろう。
長年この仕事を続けている人のようにやって行けるのだろうか。
随分悩まれたが
しんどい心のままでもやっていくうちに
心の段階が進んで、楽になられたと言う。
体はキレイになって、お顔もイキイキされて、今もそのお仕事をされている。
人それぞれ、少しずつ状況は違うと思うが
帰りの新幹線の中で思うことがあった。
随分昔のことで忘れてしまっているが
一番初めに教えて頂いた先生の後を引き継いでから
数年は、いつでも逃げられる安全圏で仕事をしていたように思う。
初めは市の施設を借りてやっていて
1年ごとの更新でもあり、無理になったら
やめようと思いながらやっていたと思う。
生徒が増え、市の施設を定期的に借りられなくなって
自分の名前で稽古場を借りて教室を始めた時
初めて、これでもう逃げることはできないと苦笑しながら思ったことを
思い出した。
それは決死の覚悟、ということではなくて
自然にずっとやっていくんだなと思えたと言うことだ。
段階的な自分の限界を超える時
自分が今までやってきたことが変わる怖さと言うのは
誰にもあるのではないか。
怖い、不安だと思う気持ちもありながら
自分がやっていることを進めていくと
確かに大変だけれども、少しずつ、その変化に自分が馴染んでいく。
いつの間にか、変わる前の自分よりも
変化後の自分の方が近しくなっている。
「どうなるんだろうか」
「ここでやめておいた方がいいんじゃないか」
と思った時、本当にそこでやめてしまっていたら
今はない。
限界点と言うのは、体のことが直接ではなくて
自分の心の問題の方が大きい気がする。
心と体はつながっているから
心の方がほんの少しでも受け入れると
体の方も受け入れる。
怖いんだけれど、やってみたらそうでもない。
そのうち怖さの質が変化してくる。
怖いんだけれど、それが変わる面白さの方が大きくなっていく気がする。
その方もその経緯を踏まれたから
今の滑らかさがある。
成長限界点の区切りはいくつも来るが
その怖さは当たり前についてくると思えるものともいえる。
最初の槌を超えるのがとてもきつく感じるが
人は慣れてくる。
気持ちがしんどい時
落ち込んでも不安になっても続けてみるしか
楽になる方法はない。
やめれば、それで悩むことはなくなるが
自分が手放してしまった悔いはずっと残る。
それもまた人生には違いないが
違う方向からの限界点はまたやってくる。
それから逃げるか立ち向かうかしかない。