体の感覚は恋愛に似ている?
ボディコントロールを特化して始めてから約4年、
神戸でワークショップを毎月開催するようになって
もうすぐ3年になる。
このコラムでいつも書いているように
気になる個所
例えば下腿O脚であるとか、肩が上がるとか膝が痛いとか
脚が開かない、上がらない、かかしみたいにしか腕が使えないとか
そのポイントだけをよくしたいと
そこだけがんばってもよくならない。
体はつながっているので
下腿O脚は骨盤と脚を分けて上げないとよくならないし
そのためには体幹部分を整えなければ分けられない。
腕がかかしみたいに固い感じにしかならない人は
肩甲骨から腕がつながる状態を覚えて行かなくてはならない。
どれも全身を見直し、骨の位置を明確にして
中心を知り、自分でコントロールできる実感を感じられるようになって
「体が全く変わったね」
と、人の目にも認識される。
もちろん、そこに至る過程でも
体は変化していくので
「随分痩せたんじゃない?」
とか
「脚がきれいになったね」
など、言われることが多くなる。
私が見て
「随分体がきれいになられたな」
と、思う人が増えてきた。
最近は踊りにつなげて行くこともしているが
初めてのことでも
流れがわかり、普通に教えると時間がかかることも
無理なく出来ておられるのに驚いた。
体が通ってきたな・・と見ていたら
裸足のポワントができている、
初めて来られたのが、神戸のワークショップ初日だったとのこと。
今は通常クラスに来られているが
秋が来たら3年になる。
体も技術も、私が教えただけではよくならない。
レッスンで覚えたことを自分に置き換えて
自分の吸収しやすい体の言葉にして
試行錯誤していく、日常生活での時間が大切だ。
レッスンは受け取ることでけでなくコラボレーションだから。
単にレッスンに来れば、どんどん良くなると言うものではない。
受け身でレッスンしているうちは、なかなかよくなっていかない。
それは、どんなレッスンでも同じだろう。
それだけの自分自身の試行錯誤を
楽しいことと向けていく、前向きなエネルギーがいる。
それをしてもらうためには、諦めていたことも
やり方次第で自分が得られるかもしれない、
と言う心の光が湧いてくるものがいる。
親は最初は母乳やミルクを子供に与える。
それが済んだら、離乳食、だんだん刺激のあるもの、固いものも
順を追って与える。
そうしなければ必要なものは得られない。
体も同じで
順を追っていくことが必要だと思う。
自分でとらえなさい、も大事なことだけれど
理解できる言い回しや、分解して教えること
一見結びつきそうもないことでも、
感覚を覚えるために行ってみること。
感覚が芽生えると、なぜそれをしたのかがわかる。
人が前向きのエネルギーを出すのは
「これが得られるかもしれない」
と、可能性を感じるからだ。
ものすごく高度な技術のほんの端っこの
シンプルなバージョンであっても
間違いなく本筋と同じことを自分が感じられた喜びがあれば
自分自身で考え挑戦する試行錯誤の時間を
自ら持つことができる。
それを当たり前にやっていく中で
「体が全く変わったね」
と他人に言われる自分に気づく。
そういわれる時にはかなりのことができるようになっている。