股関節の余分な力を抜いて負担の少ない長い脚に
力の流れを自覚する体
同じように動いていても
滑らかに見える体、何だか動きにくそうな体がある。
ぎこちなく見えたり、きつそうだったりする時は
動いている本人もとてもやりにくい。
経験が深いから浅いからではなく、それは誰が見ても違うのがわかる。
力の流れが感じられる体と、どこかで流れが止まっている体との違いなのだろうと思う。
これに自覚があるかどうか。
自分自身で、毎日のように変わる体の状態に合わせて
流れを通せる感覚を意識し実感しているかしていないかで
動きも出来てくる体も全く変わってくる。
体の流れを自覚して、流れが出来る状態に整った体幹から送り出されたプリエと
自覚のないプリエ。
下の写真を見ただけで、脚に無駄な力が出ているのがわかる。
下の写真の状態から、次の動きを引き出しても
スムーズにはいかない。
ここから脚を上げても、回っても無理矢理なやりかたになる。
中心から送られた手足は、逆に中心を目指せる方向にあるか。
流れのラインを体に引いてみて中心に向かわないものは無理な方向に行っていると言うことである。
「以前にできたから、できるはず」
と、できる根拠なく無闇に何度も練習しても
数回はうまく行くことがあるかも知れないが
確率は低い。
大事な時にうまくいく確率はなおのこと低い。
膝が腰が背骨が、腹筋が、引き上げが・・と
部分だけ考えても、成功率の高い状態に持って行くのにはとても時間がかかる。
うまくいかなくて、これは自分には出来ないんだとあきらめてしまうこともある。
あるべき骨の位置と流れの実感がわかってくると、今は出来なくても
先の希望が持てる。
部分で考えている時には、どの動きも1から部分を考えてやらなければならないが
流れの実感がある時には
大抵の動きに流れが出来るかどうかに、体が反応する。
難易度が高くなれば、更にその難度でも流れを作る試行錯誤がいるが
比較的、難易度が低いものに流れが感じられない状態のまま
難しいものはとてもできない。
基本的なものの静止での状態に流れを感じられることの訓練。
そこから簡単な動きに発展させること。
それを更に展開した動きでも自覚して実感してできるように
簡単なものほど確実に自覚することが当たり前になるように
確実に繰り返すことが、何よりの近道になってくる。
難しいことを練習したくなるものだが
実感のないままやってみても、自分のものにはならない。
簡単なことができなければ、いきなり難しいことはできないが
簡単なことを着実に実感してやっていくと
したこともないような難易度の高いものがそれほど難しくなくできた、と言う人も多い。
簡単なことが確実にできるかどうかは大きなキーワードになる。