本当に求めていることだけが自分のものになる
「手を使わずに脚を90度以上に持って行けるようになりました。」
「ルルベなんてずっと立っていられそうな感じです」
先月、東京で初めてワークショップを受けて下さった方が
そんなメールをくださった。
特別なことをしたのでなく
流れに逆らわない使い方をごく当たり前にしただけなので
その方は、嫌と言うほど散々試行錯誤して来られて
考えられるいろんなことを試して来られたのだろう。
水が行き届かなかった田んぼの水路をきれいに整理したようなものだろう。
殆ど整理されていたのを
「あれっ?こんなとこに土が盛り上がってますよ~」
と、いつも見慣れて気づかないところを
初めて見る私がみつけたくらいのものに過ぎない。
同じことをして、すぐに活かせる人。
少し時間がかかる人。
あの人はすぐできるのに私はできない。
何が違うの?
すぐに活かせる人も別の人を見て何度も同じことを思われただろう。
通る道は同じだけれど
ああでもない、こうでもない、何度も落ち込みながら
どなたも永遠と思われるような時間を過ごして来られている。
こんなことしていても無駄なんじゃない?
そうでもないんですよね。
失敗してうまくいかない数が多いほど、「この方法はうまくいかない」と
知っている訳で、それを通って次のうまく行きそうなことを試せるのであって
うまく行くときは、その経験が大いに役立っているのだと思う。
人に言われて、それだけやっている時は
できなければ落ち込む、だけを繰り返すけれど
自分の頭でアレンジしてみたり、ヒントを得てやり方を考えるようになってから
初めて、自分の体に向き合うことになるのだと思う。
アンテナを伸ばすのは:自分自身でイメージが出来ると言うことなのだろう。
山登りはみんな途中。
同じ頂上を目指していても、その人のいる場所で景色が違って見える。
自分の目で見える今の景色をしっかりみながら歩いていけば
徐々に感じ方も受け取り方も変化してくるものだと思っている。