姿勢と「丁寧に扱う」意識は一生もの
体が変わるとものの見え方、感じ方が変わる
今朝、起きると嬉しいメールが来ていた。
ワークショップに継続して来て下さる遠方の方から。
『この間のセミナーでは、ヒントをたくさんいただきまして、
あらためてブログ、コラムをいろいろさかのぼって拝見しておりましたら、
今まで何度か拝見した動画や説明のなかに「!!」がさらにたくさんありました。
見逃していたり、違うように解釈していたり、まったく理解していなかったり・・・おおおおおおお。
まだきっといろいろ勘違いしているとは思いますが、ちょっとテンションがあがりました↑↑
バレエのお稽古でも、いつもとちょっと違う感じがしました。
今後も研究していきたいと思います。』
有難いなあと思った。
レッスンを受けて下さる方は私の鏡であり、成長の糧でもある。
「ここがうまくいかない」
「こうしてみたら、こんなふうになった」
「どうすればできるの?」
いろんな疑問や問いかけをされるたびに
こちらも、「目から鱗!」が度々ある。
そうか!
私の説明したことのここを勘違いされているのか、とか
どうすれば伝わるだろうか、と考えていると
思いがけず、伝わりやすいやり方を発見したりする。
「これが最上の方法」と思っていたら変化はない。
体って、いろんな状況で変わる。
いつも同じではないけれど、
うまくいった時とうまくいかない時を経験する度
経験値がついていく。
私はいっぱい失敗していいし、試行錯誤して悩むのはどれも無駄にならないと思っている。
試行錯誤して勘違いした分だけ、うまく行かない時にどうすればいいかわかるようになるし
更に進展すれば、失敗をしにくくなる。
もしさんざんやってみて、それでも失敗すれば
まだまだ考え甲斐があるというものだ。
失敗してもへこまなくなるのは、自分の体の変化が実感できるからだし
変化がわかると、今まで目に留まらなかったものが見えてきたり
気になって仕方なかったことが、一向に気にならなくなったりする。
体や心にとって必要なもの、捨てても一向に構わないことが
感覚としてわかってくる。
何かのパフォーマンスアップのためだけではなく
自分の生活におけるものの見方まで違ってくる。
体に焦点を向ける。
飾らない素のままの自分、痛みや不具合のほぼない自分を追求していくと
人との関わり方、ものへの執着の仕方も
気付いたら変わっている。
体に焦点を向ける人と共有する時間は
かけがえなく愛しい。