既読がついた瞬間に返事を期待する人が見落とすこと
目次
困っている人がいる。
「何かできることはないかな。」
そう思う。
優しい。
素晴らしい。
……ただ、
その「何か」
誰が決めた?
( ̄▽ ̄;)
善意、勝手に現場監督になる。
被災地で土のうが必要。
「じゃあ、土のう袋を送ろう!」
送る側としては、
「よし。支援した。」になる。
ところが現場。
欲しいのは、袋じゃない。
土の入った土のう。
空っぽの袋が大量に届いたら、
今度は誰かが、
土を入れなきゃいけない。
運ばなきゃいけない。
積まなきゃいけない。
つまり。
助けに来たはずの善意が、
「追加作業」という姿に着替えている。
……善意は変身する。
しかも、悪気のない悪役のほうに。
「これ、必要でしょ?」の根拠は自分が殆ど
これ、日常にもあります。
「大変そうだから、やっておいたよ。」
ありがたい。
……でも、そこじゃない。
「これ、使うと思って買ってきた。」
ありがたい。
……使わない。
「こうしたほうがいいよ。」
ありがたい。
……今それを求めてない。
「代わりにやってあげた。」
ありがたい。
……やり方が違う。
そして、
言いにくい。
「ありがとうございます。」
と言いながら、
心の中では、
「これ、私の仕事増えましたよね?」
と言っている。
親切の受け取り、返品不可。
( ̄▽ ̄;)
人間は「必要なもの」より「自分が渡せるもの」を先に考える。
これ、ちょっと面白い。
困っている人を見る。
すると、
脳内で会議が始まる。
議題。
「私に何ができるか。」
候補。
アドバイス。
励まし。
経験談。
紹介。
物を送る。
代わりにやる。
そして、満場一致。
「これでいこう。」
……相手、会議に呼ばれてません。
( ̄▽ ̄;)
本来なら、
最初に聞けばいい。
「何が必要?」
たったこれだけ。
なのに人間。
助けたい気持ちが強くなるほど、
確認をすっ飛ばす。
なぜなら、
聞くより、やったほうが気持ちいいから。
ここが、ちょっと厄介。
「助けた」には、自分の達成感まで付いてくる。
誰かの役に立つ。
嬉しい。
「よかった。力になれた。」
この感覚は、
悪いものじゃない。
でも、
そこにハマると、
「相手に必要か」より、
「自分が役に立てるか」
が前に出てくる。
すると、
「相手を助ける」が、
いつの間にか「自分が助ける人になる」に進化。
ここから、
ちょっと危ない。
自分は救世主。
相手からすると、
仕事を一個増やして帰ってきた人。
……ヒーロー、
置き土産が重い。
本当に助けるって、案外地味。
「何が必要?」と聞く。
「これでいい?」と確認する。
「何もしないほうがいい?」と聞く。
場合によっては、
「そばにいるだけでいい。」と言われる。
……派手さ、ゼロ。
ヒーロー感、ゼロ。
でも、それが一番助かることもある。
助けるって、何かを足すことだけじゃない
相手の仕事を増やさない。
余計な判断をさせない。
必要のないものを渡さない。
それも、立派な助け。
だから、
「何かしてあげたい。」
と思ったときほど、
一回だけ止まる。
そして聞く。
「何が一番助かる?」
自分ができることじゃない。
自分がしたいことでもない。
相手が、本当に欲しいこと。
そこを間違えると、
善意は、支援物資ではなく、
追加業務になります。
人間。
親切になると、
なぜか急に、
現場を知らないプロデューサーになる。
……そして今日も、
「よかれと思って。」
仕事を一個、置いて帰る。
( ̄▽ ̄;)



