自分を好きになれない夜を、終わらせよう

「普通に生きたい」と思う一方で、「普通って何だろう」と苦しくなることはないでしょうか。
周囲と違う感覚や選択をしたとき、人は「自分がおかしいのでは」と不安になります。
けれど、本当に苦しいのは「普通ではないこと」そのものではありません。
自分の価値観を置き去りにしたまま、「普通」に合わせ続けることです。
この記事では、「普通」とは何か、なぜ振り回されるのか、そして自分らしく生きるために必要な視点について考えていきます。
目次
1.「普通」が苦しくなるのはどんな時か
「普通は……」という言い回し、よく聞きますよね。自分でも使うかもしれません。
一般的には、大抵の人は、みたいな意味合いでしょう。世間的な傾向を差して「普通」と呼んでいる感じがします。
この「普通は」という言葉に過敏に反応してしまうことはないでしょうか。
まあそうだよね、と聞き逃せるなら、おそらく自分も「普通」に納得している時。
けれど「なんでそんな決めつけるんだ」「私は違うってこと? それって間違ってる?」と違和感を感じるなら、自分とは傾向や考え方が違うのでしょう。
意見が違うこと自体は珍しいことではありません。ピーマンが好きな人がいれば嫌いな人もいる。どちらが正しいわけでも間違ってるわけでもない。
しかし内容によっては「普通」に違和感を、時には反感や怒りを感じるときがある。そしてそれは「普通」に対するものであるのと同時に、そう感じている自分自身への違和感、反感、怒りだったりします。
「普通」と称されるものと今の自分の状態や考え方は異なっている。違っていることは悪いことじゃないのに、何故か「普通」を持ち出されると自分が責められているように感じてしまう。
メンタルケアラーがまず最初に戦う相手は、「普通」の捉え方なのです。
2.なぜ分かっていても「普通」に振り回されるのか
「普通」というのは世間一般の多数派傾向に過ぎないと分かっていても、どうしても気になってしまう、振り回されてしまうものです。
- 普通なら、○歳くらいで結婚して子供がいる
- 普通なら、正社員で働いて年収は○○○万円くらいある
- 普通なら、家族は仲良く休日も楽しく過ごす
- 普通なら、ひとりでいるよりみんなでワイワイすごす方が楽しい
- 普通なら、友人は○人くらいいて当たり前
例を挙げればきりがありません。そして何においても全て「普通」で揃っている人なんてきっといないでしょう。
なのに自分の「普通」からズレている部分が気になってしまう。
人には「同調」という習性があります。周囲と同じ意見・同じ行動を選択することで集団から弾かれることを防ぎ、安全を確保する行動です。
普通とは違うことは安全圏から漏れてしまうこと、と無意識に認識している。だから「普通は」の内容に違和感を感じる自分に違和感を感じる。そしてなんとかその輪の中へ戻れないか、と考えるのです。
「普通は」は多数派意見ですから、周囲に理解されやすいです。
悩みごとや愚痴を言ったときに「ああ、わかるわかる」と言われるとホッとしますよね。あれは同調で相手と自分の繋がりを確認できたから。
「普通」の輪の中にいれば、常にこの安心感を得られるのです。
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3.「普通」ではないとしたら、それは何か
自分の感性、考え、感情、行動、状況が「普通」の範疇から外れているとして、それはどういう意味を持つのでしょうか。
「普通」の反対の概念は何でしょうか。
・異常
・特別
・例外的
・非常時
・個性的
のなどが思い浮かぶと思います。
「普通」が多数派概念を示すなら、これらは「少数派」と言えるでしょう。
しかも「普通ではない」という共通点しかないので、「異常同士」が仲間か、というとそれも違う。
つまり「普通」ではない、と自覚した時点で「仲間探し」が難しくなってしまうんですね。それが少数派の怖いところです。
仲間、同類がいないということは、理解してもらいにくい、繋がりにくい、ひとりになってしまう、ひとりになってしまったらいざという時誰も助けてもらえないのでは、と、不安がどんどん広がっていきます。
なら、「普通」の輪の中に入ればすべて解決なのでしょうか。
そうではないから、この問題は難しいのです。
なぜなら、自分が本来は「普通」とは違うのに安心安全のために「普通」に合わせることは、動植物で言えば「擬態」です。一時的ならまだしもずっと続けられることじゃない。
人間が擬態をし続けると、本来の姿に戻れなくなります。自分が本当はどうしたいのか、何を求めているのか、何のために生きているのかが分からなくなる。自己喪失です。
自分を守るための擬態が、自分を見失う事態を招いてしまうのです。
4.自分の価値観と「普通」の関係性とは
「普通」とは反対の言葉を先ほど列記しました。このすべてを網羅し、かつ、例え普通じゃないとしても否定しきれない引力を持つ要素を誰もが持っています。
それが「価値観」です。
例えば「困ったら人に頼るほうがいい」という価値観があれば、「困ったとしても自分の力で何とかするほうがいい」という価値観だってあります。
どちらが正しくて間違っているか、という話ではありません。ただ、どちらを是とする人がどっちに多いか、という違いはあるでしょう。その多いほうが「普通」と捉えられる。
価値観とはどんな問題に対しても確立しているものではありません。
仕事において、家族において、趣味や夢において、生き方において、人づきあいにおいてなど。
自分にとって重要なものほど、価値観が明確です。
仕事を最重視している人は仕事上で自分と他者の価値観がぶつかりやすいでしょう。でも家庭内のことはパートナーに委ねていて、それに合わせることは特に苦痛じゃない。逆もあります。
普通かそうでないか。
普通は、と説かれて「ん?」が強い時、そこには自分の価値観があるからです。
『悩むくらいなら誰かを頼れば?』と言われてスムーズに『そうだね』と思えない。
言えない、合わせられない自分を責めてしまうかもしれませんが、それはちょっと待ちましょう。
そして「何故言えないのか?」を考えてみる。この違和感の答えは自分の中にしかありません。
・自分がどこまで出来るかやってみたい
・自分が頼れる人がいないから頼れない
・頼った相手に失望するくらいなら、自分で悩んでいる方がいい
これが自分の価値観です。
「普通」を無抵抗に受け入れられないとしたら、そこには自分の価値観があるのです。
5.結局人は自分の価値観で生きるしかない
普通はどうなんだろう。
これはどうしても気になります。
人は「社会的存在」ですから、他の人のことが気になるのは当然です。
しかし、他の人がどう考えてどうするのかを気にすることと、自分自身の価値観を大事にすることは反比例の関係ではありません。併存できます。
【他の人がAを選ぶ、自分はBがいいと思う】
↓
Aを選ばなければ
Bを選ぶ自分は何かおかしいのでは
と考えるから、「普通」が苦しくなるし、違和感を感じてしまう。
【他の人がAを選ぶ、自分はBがいいと思う】
↓
他の人はAいいと思ったんだ
そして私はBがいいと思ったんだ
どっちも「あり」なんだ
と考えることが出来ると、「普通」へのこだわりが氷が解けるように消えていきます。
普通に違和感がありながらもこだわりが消えないときは、自分の価値観が形になっていないからです。
他の人がAを選ぶ、自分はAは違う気がするけど、じゃあどうすればいいか分からない
この状態が一番不安定でストレスです。
不安定な状態は心と脳が嫌がるので、早く安定させようとする。そして周囲に同調します。
でも後から「本当にAでよかったのか…」と悩む。
それはAがあなたの価値観に合っていないから。
なら、自分の価値観とはなんだろうか。
これを探るときに一番役に立ってくれるのが違和感、つまり自分の感情です。
感情は邪魔者でも制御する対象でもない。
自分の本心を知らせてくれるサインです。
いつでもどこでも感じる感情を手掛かりに、普通に縛られず自分らしさで安定するために、自分の価値観を探っていきましょう。
6.まとめ
「普通」は、多数派の傾向を示すひとつの基準に過ぎません。ですが人は社会的存在であり、周囲と違うことに不安を感じるため、「普通」に強く影響されます。特にメンタルケアラーのように、役割や責任を抱えやすい人ほど、「合わせなければ」という意識が強くなりやすいでしょう。
しかし、本来の自分と違う形へ無理に合わせ続けることは、擬態を続けるのと同じです。安心を得る代わりに、自分の感情や価値観が分からなくなっていく。そして「本当はどうしたいのか」が見えなくなるのです。
だからこそ大切なのは、「普通かどうか」ではなく、「自分は何を大切にしたいのか」を知ること。違和感やモヤモヤは、間違いではなく、自分の価値観を知らせるサインです。
普通に合わせるために自分を消すのではなく、自分の価値観を理解した上で他者と共存していく。その視点を持てたとき、「普通」への苦しさは少しずつ和らいでいきます。
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