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コラム

第58回 洗濯機の糸屑除去装置: 主婦の頭脳(その4)

2019年7月3日 公開 / 2019年7月5日更新

テーマ:特許制度の意味

 第53回で説明したフリーサイズ落し蓋は実用新案権であり法律上の用語としては「考案」であり、「発明」ではない。第54回で説明した初恋ダイエットスリッパは、特許権等の知的財産権を何も獲得していない商品である。

 このため、「主婦の3大発明」と呼ぶのであれば、主婦笹沼喜美賀さんの「糸くず取りネット」のみが発明の範疇に入ることになる。笹沼さんの発明は3パーセントのロイヤリティで、3億2000万円の収入が得られたといわれている。

 今回は昭和46年に施行された出願公開の制度や出願審査請求の制度についても説明するが、一人の主婦が昭和43年にした発明から、その後約80件以上の関連する特許権や実用新案権が生まれていることに十分に留意する必要がある。

 更には昭和43年当時に、世界一の特許出願件数に向かって増大を続けていた我が国の状況と、昭和45年(1970年)に世界一になった後、平成17年(2005年)に世界一から脱落した我が国の特許出願件数についても考えてみる。  
  
  §1 当初、笹沼さんの発明を大手企業は相手にしなかった
  §2 最初に笹沼さんの発明に着目したのは三洋電機と中小企業
  §3 複数の権利でポートフォリオを構成する
  §4 笹沼さんの発明の公告後に続出した主婦からの出願

§1 当初、笹沼さんの発明に大手企業は相手にしなかった

 神奈川県川崎市に住む主婦の笹沼喜美賀さんは、昭和43年(1968年)3月9日に、図1に示すような「洗濯機の糸屑除去装置」の特許出願をした(特願昭43-15226号)。

 笹沼さんの特許出願は、残念ながら昭和46年(1971年)12月7日に特許庁より拒絶理由通知を受けた。笹沼さんは昭和47年(1972年)1月14日に特許庁に意見書を提出し、2月7日に特許庁に補正書を提出し、笹沼さんの発明は7月7日に出願公告された(特公昭47-24828号)。「出願公告」とは特許庁の審査に合格したということである。
 
 11月14日に特許庁によって笹沼さんの発明は特許査定され、昭和48年(1973年)1月12日に特許第672877号として登録されている。そして、笹沼さんの発明は昭和62年(1987年)7月7日に、出願公告後15年経過し、存続期間満了で消滅している。
 
 伝え聞くところによれば、笹沼さんの発明は、笹沼さんが手紙で大手の電気会社数10社に売り込んだが、どこの大手も相手にしなかったという。

 しかし、1961年に発明学会の初代会長T氏のご子息M氏を社長として設立されたダイヤ産業株式会社が、「クリーニングペット」として製品化してくれたようである。ダイヤ産業株式会社は、1992年に「株式会社ダイヤコーポレーション」に社名変更している。

 1993年にT氏は株式会社知的所有権協会を設立する。残念なことに、知的所有権協会は、著作権で発明等のアイデアを保護できるかのような詐欺的行為によって、多数の人たちに被害を与えたことによて刑事告発され、民事訴訟において敗訴している(東京高裁平成14年(ネ)第647号)。

 著作権で発明等のアイデアを保護できないことは東京高裁平成 12年 (ネ) 2606号 においても説示されているので、注意が必要である。
 
 「クリーニングペット」を発売して2年目に(株)松下電器が洗濯機に1個ずつ付けることになったという。
 
 【図1】笹沼さんの特許を公告する特公昭47-24828号の内容(出典J-PlatPat)

§2 最初に笹沼さんの発明に着目したのは三洋電機と中小企業

 笹沼さんが発明した「洗濯機の糸屑除去装置」を取り付けた電気洗濯気を、(株)松下電器が月に約15万個も販売したとされているようである。しかし、図2に示すように、J-PlatPatで検索できる特許出願の記録からみると、最初に笹沼さんの発明に着目し、独自の研究開発に着手した大手企業は三洋電機である。
 
 三洋電機は、笹沼さんの発明のライセンス交渉には応じなかったようであるが、笹沼さんが特許出願した翌年の昭和44年(1969年)に、8件の実用新案登録出願をしている。

 三洋電機の出願した8件のすべてが公告され登録されている。笹沼さんの特許が出願公告されたのは、昭和47年7月7日であり、三洋電機の出願以外を含めて、昭和44年当時の実用新案登録出願には「洗濯機の糸屑除去装置」に関する先行技術文献が未公開の状態であった。
 
 このため、昭和44年当時の実用新案登録出願に対して進歩性欠如等の拒絶理由が出しにくく、「洗濯機の糸屑除去装置」に関する考案は、新規性さえあれば、容易に出願公告される傾向にあったものと思われる。
 
 【図2】笹沼さんが出願した1968年の直後から1970年までの間の僅か3年の間に出願がされて、登録されるまでに至った「洗濯機の糸屑除去装置」の考案が30件ある。

 これに対し、笹沼さんが、昭和57年(1982年)3月20日に出願した実用新案登録出願(実全昭59-019085号)は自己の実用新案(実公昭47-39322号)を含む2つの引用例で拒絶理由を受け拒絶査定が確定している。笹沼さんが昭和59年(1984年)11月30日に出願した特許(特開昭61-130608号)も拒絶理由通知を受けたが、意見書等が不受理で拒絶査定が確定し、公告されておらず、昭和47年7月7日以降の出願は公告率が悪くなっている。
 
 笹沼さんが1984年に出願した特開昭61-130608号等は、発明学会の前身となる「発明プール株式会社」を出願人とする出願である。T氏は昭和26年(1951年)に、日本発明プール株式会社の専務取締役に就任している。

 笹沼さんが特許出願した昭和43年(1968年)の12月には、八王子市の阿部昭三氏が個人で実用新案登録出願した「洗濯機用糸屑除去器」が実用新案登録第1069901号として登録されている(実公昭49-015882号)。阿部氏は、翌年の1969年4月にも、個人で「洗濯機用糸屑除去器」の実用新案登録出願し、実用新案登録第1072510号として登録されている(実公昭49-023023号)。
 
 図2の表の第5行目に、考案者=出願人発明者矢野嘉一氏(東京都練馬区)と宮原末男氏(小平市)が共同で考案し、1969年3月24に出願した「洗濯くず集塵袋支持具」の実公昭49-031748号が記載されている。

 笹沼さんの発明を知った矢野氏と宮原氏は、昭和44年の始めに、洗濯屑捕集器具の共同開発を開始し、昭和44年3月に実用新案登録出願を(実願昭44-25866)、「クリーネット」の商品名で販売することを決めた。

 実用新案登録出願後の昭和44年4月に矢野氏と宮原氏は太陽産業を設立するが、昭和47年11月に宮原氏は、太陽産業を退職している。笹沼さんの特許が昭和47年7月7日に出願公告されたので、笹沼さんは、昭和47年11月中旬にから特公昭47-24828号の仮保護の権利を侵害しているとして、太陽産業に対し、仮処分申請をしている。
 
 昭和48年(1973年)9月に、太陽産業を退職した宮原氏は株式会社サンアイを設立している。図2の表には示していないが、宮原氏は、1979年5月4日に「洗濯屑捕具」の個人で実用新案登録出願をして、出願公告されている(実公昭58-018864)。

 更に、宮原氏1979年7月23日にも「洗濯屑捕具」の実用新案登録出願を個人でして、これも出願公告されている(実公昭58-018866)。引き続き、宮原氏1980年9月10日にも「洗濯屑捕具」の実用新案登録出願を個人でして、出願公告されている(実公昭58-018868)。

 宮原氏の設立した株式会社サンアイは、1986年7月15日に「洗濯屑捕具」の実用新案登録出願をして、出願公告されている(実公平03-021745)。更に、1985年9月11日にも「洗濯屑捕具」の実用新案登録出願をして、これも出願公告されている(実公平02-032233号)。引き続き、1987年7月23日にも「洗濯屑捕具」の特許出願し、出願公告されている(特公平03-031480号)。
 
 一方、太陽産業は昭和48年3月頃から昭和49年7月頃まで洗濯屑捕集器具を販売したが、太陽産業は倒産し、矢野氏は太陽産業の意匠登録を受ける権利等をレック株式会社に譲渡している。
 
 レック株式会社は昭和48年2月に創作者を矢野氏として「洗濯くず捕集器」の意匠登録出願をして、昭和53年に意匠登録を受けている(意匠登録第478216号)。レック株式会社は1976年11月15日に「水流対向式洗濯くず捕集器」の特許出願し、出願公告されている(特公昭53-037672号)。

 また、1979年10月17日にも「洗濯くず捕集器連結具」の実用新案登録出願をして、これも出願公告されている(実公昭59-016069号)。

§3 複数の権利でポートフォリオを構成する

 ポートフォリオ(Portfolio)とは、紙挟みや折りカバンの意味である。「投資」の分野では、資産を投資する場合、そのリスクを分散するために、別々の入れ物(紙挟みや折りカバン)に数種類の資産を分散させて入れるような戦略が採用される。
 
 特許や実用新案は競争の世界で使われる資産である。特許や実用新案の場合も、1件の特許等に依存しないで、複数の権利によりそのリスクを分散する戦略が求められる。
 
 笹沼さんは、昭和43年11月16日に図3に示すような「電機洗濯機の水中に浮く糸屑自動除去具」の実用新案登録出願をしてポートフォリオを形成している(実願昭43-99917号)。特公昭47-24828号に記載の発明では、「吸盤がはずれる」のような使用上の不便が発見されたので、それを改良して空気袋を付けて浮かせるように工夫した考案である。
 
 図3に示す実用新案登録出願は昭和47年(1972年)11月28日に出願公告され(実公昭47-39322号)、昭和48年(1973年)6月7日に実用新案登録第1004095号として登録されている。そして、昭和57年(1982年)11月28日に、出願公告後10年経過し、存続期間満了で消滅している。実願昭43-99917号も、昭和45年改正法の適用を受けず出願公開されず、昭和47年11月28日の出願公告のみとなっている。
 
 【図3】笹沼さんの実用新案登録を公告する実公昭47-39322号の内容(出典J-PlatPat) 

 「吸盤がはずれる」という不便を開昭した「電機洗濯機の水中に浮く糸屑自動除去具」は、ブームのときは、月約5,000万円も売れたということである。
 
 笹沼さんの発明したクリーニングペット(特許第672877号)は、1987年7月7日に存続期間を満了し、「クリーニングボール」の考案(実用新案登録第1004095号)は、1982年11月28日に存続期間満了で消滅している。

 しかしながら、存続期間中に発明者(考案者)の笹沼さんは、3億円近いロイヤリティ(特許の実施料)の収入を得たと伝えられている。
 
 残念ながら、笹沼さんの1981年1月8日出願の実全昭57-200189号、1982年3月20日出願の実全昭59-019085号及び1984年11月30日出願の特開昭61-130608号はいずれも公告には至っていないのは、上述したとおりであり、十分なポートフォリオの形成には至っていない。
 
 笹沼さんのスポンサーとなったダイヤ産業株式会社は、1982年3月4日にM氏を考案者とする「電気洗濯機用糸屑取器」の実用新案登録出願(実願昭57-30033)をし、実願昭57-30033は公告に至り(実公昭61-000875)、実用新案登録第1646356号として登録され、笹沼さんの特許のポートフォリオ形成の一翼を担っているようである。
 
 ダイヤ産業株式会社の創業当時は、ゴルフ道具の販売とゴルフバッグやクラブカバ-を作っていた株式会社ダイヤコーポレーションは、笹沼さんの発明以降、日用品の作品を好んで、商品化を実現するようになり、洗濯用品や台所用品等の新製品を続々と販売するようになっていく。
 
 1999年2月26日にM氏を考案者として株式会社ダイヤコーポレーションから出願された「電気洗濯機用くず取り具」の特許出願(特願平11-51906)は特開2000-79296号として公開されている。
 
 M氏の特願平11-51906は、2007年11月20付けで拒絶理由通知書が発送され、株式会社ダイヤコーポレーションは2008年1月16日に意見書と補正書を提出している。

 しかし、2008年2月26日に特願平11-51906に対する拒絶査定が発送されたのに対し、株式会社ダイヤコーポレーションは応答可能期間内に拒絶査定に応答した記録がない。その後の審査記録に関して、J-PlatPatではその更新が止まっているので不明であるが、拒絶査定が確定しているものと思われる。

 2019年現在において、株式会社ダイヤコーポレーションの特願平11-51906の特許出願は、既に1919年2月26日に出願後20年を経ている。

§4 笹沼さんの発明の公告後に続出した主婦からの出願

 特許制度は、発明者が完成した発明を公衆に公開する代償として、発明者に独占排他権たる特許権を付与して、発明者の保護をするという「公開代償」という考え方が根底にある。「公開代償」という考え方で、発明の利用を図ることにより、技術の累積進歩を通じて産業の発達を図る制度である。
 
 昭和45年の特許法等の一部を改正する法律(以下「昭和45年改正法」と略記する。)までは、特許庁の審査に合格した特許出願のみが、「出願公告」で公衆に公開される制度であったので、「公開代償」の考え方が生きていた。しかし、昭和45年改正法で出願公開の制度が導入されたことにより、「公開代償」の考え方が使えない場合が発生することになる。
 
 昭和45年改正法の第65条の2には、「特許庁長官は、特許出願の日から1年6月を経過したときは、出願公告をしたものを除き、その特許出願について出願公開をしなければならない」と規定されている。
 
 即ち、すべての出願された発明が公衆に公開されることになったが、図4に示すようにすべての出願された発明が登録される訳ではなく、すべての出願された発明に独占排他権たる特許権が付与することにはならないのである。
 
 図4の橙色が各年に出願された特許出願の件数で、図4の緑色が各年で登録された特許出願の件数である。2001年当時は約75%の特許出願が「公開代償」の恩恵を受けられていない。2018年では約35%近くが「公開代償」の恩恵を受けられていない。

 独占排他権たる特許権が付与されなかった発明は、公衆が自由に真似ができる技術であるので、特許出願したことの不利益が、逆に発生することに十分注意が必要である。

 【図4】すべての特許出願が「公開代償」の恩恵を受けられる訳ではない。

 笹沼さんの発明は、昭和43年の出願なので、昭和46年に施行された昭和45年改正法の適用を受けず、出願公開はされていない。しかし、「公開代償」の趣旨から、昭和47年(1972年)7月7日に特公昭47-24828号として出願公告され、図1に示した「洗濯機の糸屑除去装置」の内容が公衆に公開された。

 この昭和47年7月7日の後、多数の主婦からの「洗濯機の糸屑除去具」関連の特許出願があるが、その多くは「出願公告」に至っていない。これらの内には、一攫千金を狙った出願が含まれている可能性がある。
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 中川千代子(東京都目黒区)実開昭48-005569:未審査請求(見なし取り下げ)
 牧原春枝(東京都大田区)実開昭50-44873:公告後異議申立があり消滅
 牧原春枝(東京都大田区)特開昭53-115572:未審査請求(見なし取り下げ)
 川村久子(横浜市旭区)実開昭51-39356:未審査請求(見なし取り下げ)
 宇津木ヤエ子(東京都青梅市)実開昭51-59176:公告されず
 杉本和代(大阪市西淀川区)実開昭56-91586:実用新案登録第1497943号
 小島千枝子(東京都江東区)実開昭56-153367:未審査請求(見なし取り下げ)
 伊丹喜久子(守山市今市町)特開昭58-212490:特許第1379630号
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 1971年6月13日に中川千代子さんが出願した「電気洗濯機用洗濯物の自動ゴミ取り器」の考案(実開昭48-005569)は、未審査請求(みしんさせいきゅう)で取り下げられたものと見なされている。
 
 昭和45年改正法では出願公開制度とともに、審査請求制度が導入された。昭和45年の日本の特許出願件数は13万件となり、米国を抜き世界第1の出願件数を誇るまで激増した。

 出願件数が増大すると特許庁での審査の滞貨が問題となった。このため、出願公開制度と共に、審査負担を軽減するための審査請求制度が導入する法改正をしたのである。

 出願公開制度と審査請求制度を世界で最初に導入したのはオランダである。オランダは1964年1月1日に改正特許法施行していち早く審査請求と出願公開制度を実施している。我が国はオランダの制度を参考に法改正を行った。

 昭和45年改正法の特許法第48条の3の第1項には、「特許出願があつたときは、何人も、その日から七年以内に、特許庁長官にその特許出願について出願審査の請求をすることができる」と規定されている。そして、昭和45年改正法の特許法第48条の3の第4項には、「第1項又は第2項の規定により出願審査の請求をすることができる期間内に出願審査の請求がなかつたときは、この特許出願は、取り下げたものとみなす」と規定されている。
 
 【図5】出願審査請求や出願公開等の特許庁に於ける審査の手順

 図5から分かるように、主婦中川千代子さんが出願した実開昭48-005569は、昭和45年改正法の特許法第48条の3の第4項の規定で「取り下げたもの」とみなされたのである。

 なお、平成15年に施行された平成14年の特許法等の一部を改正する法律の特許法第48条の3の第1項は、「特許出願があつたときは、何人も、その日から三年以内に、特許庁長官にその特許出願について出願審査の請求をすることができる」となり、出願審査の請求をすることができる期間が、平成15年から7年から3年に短縮された。

 図4で2013年(平成25年)に登録件数のピークが現れているのは、出願審査の請求をすることができる期間が7年の出願と、3年の出願が重畳され、審査対象の母数の増大を意味していると思われる。重畳による登録件数の増大は2006年(平成18年)ぐらいから始まっている。

 出願してから7年後に出願審査の請求をした場合、それが登録されるまでは、更に3年ぐらいかかるので、出願の件数のピークと登録件数のピークは図4に示すように10年ぐらいずれることに留意したい。

 図4の橙色の棒グラフと緑色の棒グラフのピークが10年くらいずれていることを考慮すると、実際の特許の登録率は、各年における値ではなく、橙色の棒グラフの山を積分した値を分母とし、緑色の棒グラフの山を積分した値を分子とする計算になるはずである。

 日本の特許出願件数は1970年以降しばらく世界第1の出願件数を誇っていたが、図4に示すように2001年の約44万件をピークに減少を始め、2006年に41万件となったところで再び米国に抜き返された。2010年に34万件まで落ち込んで、中国に抜かれ、現在世界3位に甘んじている。

 2010年は日本のGDPも中国に抜かれ世界3位に後退した年である。特許出願件数の減少とGDPの伸び率の停滞には重要な関係があるであろう。

 既に述べたとおり、笹沼さんは昭和46年12月7日に特願昭43-15226号が拒絶理由通知を受けた。笹沼さんは、昭和47年1月14日の拒絶理由通知に対する意見書の提出に先立ち、笹沼さんは1月13日に特願昭43-15226号の内容を基礎として、「洗濯機の糸屑除去方法」の分割出願もしている(特願昭47-60546号)。
 
 この分割出願を笹沼さんは、ポートフォリオの形成に用いなかったようで、出願後7年以内の審査請求(しんさせいきゅう)の手続きをしなかった。このため、この特願昭47-6054号は、昭和54年(1979年)3月15日に「未審査請求によるみなし取り下げ」の処分を受けている。
 
 笹沼さんが考案し1982年に発明プール株式会社から出願した実全昭57-200189も未審査請求によるみなし取り下げの処分を受けている。

 笹沼さん分割出願の特願昭47-6054号の方は、基礎出願の出願後の7年以上を経た昭和50年(1975年)9月25日に特開昭50-122065号として出願公開されている。
 
 笹沼さんの分割出願は、基礎出願が昭和43年であるので、昭和45年改正法の適用を受けず、昭和45年改正法の規定よりかなり遅い出願公開になっている。基礎出願の特願昭43-15226号も、昭和45年改正法の適用を受けず出願公開されず、昭和47年7月7日の出願公告のみとなっている。
  
 1973年8月22日に出願した主婦牧原春枝さんの「洗濯機用ごみ捕集器」の考案(実開昭50-44873)は、実公S52-369として出願公告されたが、その後に異議申立があり、消滅している。
 
 出願公告の制度は、平成6年の法改正で廃止されている。出願公告の制度は、特許庁の審査官による実体審査を経て拒絶理由が発見されなかった特許出願の内容を公告して、公衆に異議申立の機会を与えるための制度である。牧原春枝さんの実公S52-369は、異議申立で異議が成立して消滅している。
 
 異議申立の審査に長期間を要すると、特許の時期が遅れるなどの不都合があったので、平成6年の法改正で出願公告制度の廃止とともに特許付与後の異議申立制度へ移行した。そして平成15年の法改正で、この付与後異議申立制度も特許無効審判制度に吸収された。
 
 現在は、出願公告制度及び異議申立制度は廃止されているので、注意が必要である。1973年8月22日に出願した牧原春枝さんの「洗濯機用繊維屑捕集器」の特許(特開昭53-115572)は、牧原春枝さんの実開昭50-44873から特許への変更出願のようであるが、未審査請求で取り下げられたものと見なされている。
 
 1974年9月18日に出願した主婦川村久子さんの「洗濯機のごみ取り装置」の考案(実開昭51-39356)は、未審査請求で取り下げられたものと見なされている。1974年11月5日に出願した宇津木ヤエ子さんの「全自動濯機の糸屑取り除き具」の考案(実開昭51-59176)は、拒絶査定を受け公告されていない。

 1979年12月18日に出願した主婦杉本和代さんの「洗濯機用糸屑収集具」の考案(実開昭56-91586)は、実公S57-53508として公告され、実用新案第1497943号として1992年11月19日まで存続した。1980年4月15日に出願した小島千枝子さんの「洗濯機内の渦防止具」の考案(実開昭56-153367)は、未審査請求で取り下げられたものと見なされている。

 1982年6月5日に出願した主婦伊丹喜久子さんの「糸屑流出防止装置付き糸屑取り器」の特許(特開昭58-212490)は、特公S61-47115として公告され、特許第1379630号として登録されたが、2001年10月17日の存続期間満了を待たずに、年金未納で1990年10月17に消滅している。
 
 1971年から1982年までの主婦の発明を概説したが、図2に示したリストの約30件に続く1971年以降2018年までで約50件の「洗濯機の糸屑除去装置」に関連する特許や実用新案が登録されている(注意すべきは、出願された件数は登録された件数よりも遙かに多いことである。)。
 
 最近では2015年9月18日に中国の青島ハイアールから出願された特許第6457070号、2014年7月2日に青島海爾洗衣机有限公司から出願された特許第6337384号、1997年7月14日に韓国LGエレクトロニクスから出願された特許第3043665号等の外国企業からの出願もある。
 
 図2のリストとは異なり、最近の登録された権利は、実用新案よりも特許が比率が高まっている。良い発明は必ず模倣され、模倣から改良発明が生まれ、この改良発明が続々と権利化されるということを理解する必要がある。

 更には、対象とする特許権の独占的実施を回避するために、その対象とした特許権を迂回する発明を後発企業が研究開発し、それを権利化して、後発企業が製品を販売する場合もある。

 競争社会の原理からすれば迂回発明は当然であり、先発企業は迂回発明を凌駕する新たな発明を継続的に研究開発し、ポートフォリオを形成するように、特許出願をする必要がある。

 既に述べたとおり、笹沼さんの実全昭57-200189号、実全昭59-019085号及び特開昭61-130608号等は、折角出願したのに権利化に至っていない。すべての出願が特許権や実用新案権として権利化されるのではない。

 それにも関わらず、主婦である笹沼さんが昭和43年にした一つの発明から、その後約80件以上の「洗濯機の糸屑除去装置」に関係する特許権や実用新案権が続々と生まれている事実に十分に留意する必要がある。

  辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
 そうべえ国際特許事務所は、発明や考案に至る前の種々の創作活動のご相談や、権利化可能な明細書の作成をお手伝いします。
              http://www.soh-vehe.jp

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