黙秘したほうがよいのか|黙秘の効果とリスクの整理
「示談は成立したはずなのに、被害者の方が処罰を求めていると聞かされた」。示談書に宥恕(ゆうじょ)の一文を入れてもらった方から、こうしたご相談を受けることがあります。
このとき多くの方が最初に思い浮かべるのが、「一度示された宥恕を、後から撤回することができるのか」という問いです。ただ、この問いには性質の異なる三つの話が混ざっています。混ざったまま考えると、次にとるべき行動を見誤ることがあります。
この記事では、「宥恕の撤回」という言葉が実際には何を指しているのかを分けたうえで、先に作成した示談書がその後どのように扱われるのか、そして知らせを受けた側に何ができるのかを整理します。
この記事で扱うこと・扱わないこと
この記事で扱うのは、次の三点です。
・示談が成立した後に被害者の方が処罰を求めた場合、法律上はどのような整理になるのか
・宥恕、告訴の取消し、示談契約そのもの、という三つの層の違い
・知らせを受けた側が確かめておきたいことと、控えたほうがよい進め方
一方、次の点は扱いません。それぞれ別の記事で取り上げています。
・示談金の金額や水準の決まり方
・被害者の方と連絡が取れず示談ができない場合の進め方
・示談書に入れる条項の設計
・事実関係そのものを争っている場合の弁護方針
「宥恕の撤回」に混ざっている三つのこと
「宥恕を撤回された」という言い方でご相談を受けても、実際に起きていることは同じではありません。整理すると、次の三つのいずれかにあたることがほとんどです。
| 言われ方 | 実際に問題になっていること | 手続としての定め |
|---|---|---|
| 示談そのものをなかったことにしたい | 契約の効力(取消しや解除) | 民法に定めがある |
| 宥恕の記載だけを取り消したい | 処罰感情の表明の扱い | これに対応する手続は置かれていない |
| 告訴の取消しをやり直したい | 訴訟条件(親告罪) | 刑事訴訟法に定めがあり、制限もある |
ご相談の場面では、この三つが「示談をひっくり返された」という一つの言葉にまとめられていることが少なくありません。どれにあたるのかによって、確かめるべきものも、次に動くべき方向も変わります。
宥恕には「撤回」という手続が置かれていない
宥恕は、刑法や刑事訴訟法に定義規定が置かれた制度ではありません。実務のなかで使われてきた言葉で、被害者の方が加害者を許し、刑事処罰を求めないという意思を書面に表したものを指します。
制度として定められていないということは、それを取り消すための手続もまた定められていないということでもあります。告訴のように「取消し」という条文上の仕組みが用意されているわけではないのです。
示談書に宥恕の一文があるとき、それは検察官が処分を判断する際の材料の一つとして扱われます。刑事訴訟法248条は、犯罪の軽重や情状、犯罪後の情況などを考慮して起訴しないことができると定めており、宥恕はこの「情況」を構成する事情の一つに位置づけられます。材料であるということは、それだけで結論が決まる性質のものではない、という意味でもあります。
したがって、「宥恕は撤回できるのか」という問いに、できる・できないの二択で答えが出るわけではありません。撤回という手続が想定されていない以上、後から処罰を求める意思が示された場合、それは撤回というより新たに示された意思として扱われることになります。
先に作成した書面が消えるわけではない
ここで押さえておきたいのが、後から処罰を求める意思が示されても、先に作成された示談書がなかったことになるわけではない、という点です。
示談書は、捜査機関や裁判所に提出された時点で記録の一部になります。その後に被害者の方が「やはり処罰を求める」と述べた場合、その申述もまた記録に加わります。つまり、後の意思が先の書面を上書きするのではなく、二つの資料が並んで残るという状態です。
判断する側から見れば、いったんは宥恕の意思が示され、その後に変化があったという経過そのものが検討の対象になります。示談金が約束どおり支払われたかどうか、謝罪がどのように行われたか、変化のきっかけとなる出来事があったかどうかといった点も、あわせて見られることになります。
ですから、宥恕の記載が完全に意味を失ったと考える必要はありません。他方で、記載があるのだから状況は変わらない、と考えるのも実態には合いません。
告訴の取消しだけは扱いが異なる
三つの層のうち、法律に明確な定めがあるのが告訴の取消しです。
刑事訴訟法237条1項は、告訴は公訴の提起があるまで取り消すことができると定めています。そして同条2項は、告訴の取消しをした者は、更に告訴をすることができないと定めています。ここにはやり直しを制限する明文の規定があるわけです。
もっとも、この2項の制限は親告罪について定めたものと解するのが一般的です。親告罪でない罪については、いったん取り消した後に改めて告訴をすることも理論上は可能とされています。ただし、告訴の有無が起訴の条件になるのは親告罪の場合であり、それ以外の罪では、告訴があるかどうかにかかわらず捜査や処分の判断が行われます。
また、告訴をすることができる人が複数いる場合、そのうちの一人が取り消しても、別の告訴権者が固有の立場で告訴をすることは妨げられないと考えられています。示談の相手方が誰であったかによって、この点の見え方は変わります。
なお、被害届については、法律上「取下げ」という手続が定められているわけではありません。この点は告訴と非対称になっています。
示談そのものの効力が争われる場合
「宥恕を撤回する」という言い方の背後に、示談契約そのものを争う主張が含まれていることがあります。この場合は、刑事の話ではなく民事の話として整理することになります。
意思表示に問題があったと主張される場合
思い違いがあったという主張は錯誤(民法95条1項)、だまされた・強く迫られたという主張は詐欺または強迫(同法96条1項)として、契約の取消しの根拠になり得ます。示談の場でどのような説明が行われ、検討する時間がどれだけあったのかが問題になります。宥恕という言葉の意味が伝わっていなかった、と後から述べられる例もあります。
内容そのものが問題とされる場合
内容が社会的に許容される範囲を超えていると評価される場合には、公序良俗(民法90条)の観点から効力が争われることがあります。また、対象となる事案の特定があいまいだと、「その件については合意していない」という主張が入り込む余地が生まれます。
支払いが滞っている場合
分割払いの約束が守られていない場合、相手方が期間を定めて履行を求めたうえで契約を解除することが考えられます(民法541条)。この場合、争われているのは処罰感情ではなく、約束が果たされていないという事実です。
いずれの場合も、示談の効力が争われている状態そのものが、処分を判断する側から見ると「示談が成立している」と言い切りにくい状態になります。早い段階で位置づけを整理しておく意味は、ここにあります。
処罰を求める意思はどの経路で届くのか
処罰を求める意思がどのような形で手続に反映されるかは、事件がどの段階にあるかによって変わります。
| 段階 | 意思が届く主な形 | 示談書の扱われ方 |
|---|---|---|
| 処分が決まる前 | 捜査機関への申述、供述調書、書面の提出 | 検察官が処分を判断する際の材料として残る |
| 起訴された後、判決までの間 | 心情等の意見の陳述(刑事訴訟法292条の2)、被害者参加の制度(同法316条の33以下) | 量刑を判断する際の事情の一つとして残る |
| 判決が確定した後 | 刑事手続としては終わっている | 民事上の合意としての効力が問題になる |
起訴された後については、被害を受けた方が公判で心情や意見を述べる仕組みが法律上用意されています。一定の事件では、裁判所の許可を受けて手続に参加する制度もあります。示談の後に気持ちが変わった場合、その変化はこうした形で法廷に届くことがあります。
このとき、先に提出された示談書がなくなるわけではありません。示談金が支払われ、被害の回復が図られた事実は、そのまま残ります。両方の資料が並んだ状態で、全体として評価されることになります。
気持ちが変わるきっかけになりやすいこと
示談の後に処罰を求める意思が示される背景には、加害者側の行動が関係している場合があります。次のような事情は、実務でしばしば見られます。
・示談金の分割払いが遅れている、連絡のないまま期日を過ぎている
・接触しない約束があるのに、連絡を取った、近づいた
・口外しない約束があるのに、第三者に事情を話した
・示談の後の言動が伝わった(会員制交流サイトへの書き込みなど)
・示談の場で説明された内容と、後から知った事実が食い違っていた
もっとも、原因がつねに加害者側にあるわけではありません。被害を受けた方の受け止め方が時間の経過とともに変わることは、それ自体として起こり得ることです。周囲の方から働きかけがあった、あるいは事件の影響が後になって生活に表れてきた、という経過もあります。
したがって、原因を決めつけて臨むよりも、何が起きているのかを確かめることを先に置くほうが、結果として実務的です。
知らせを受けたときに確かめたいこと
処罰を求める意思が示されたと聞いたとき、まず確かめておきたいのは次の点です。
・起きているのは、示談の効力を争う主張なのか、処罰感情を伝えるものなのか、それとも別の事実についての申告なのか
・示談書の原本で、当事者、対象となる事案の特定、宥恕の文言、清算条項、日付を確認する
・支払いが約束どおり済んでいるか、振込の記録など裏づけとなるものが残っているか
・手続が今どの段階にあるのか(処分が決まる前か、起訴された後か)
・示談書がすでに捜査機関や裁判所に提出されているかどうか
これらは、いずれも自分の手元で確認できることです。相手方に問い合わせなければ分からない事柄ではありません。まず手元の資料を整えるところから始めるのが安全です。
控えたほうがよい進め方
次のような対応は、状況をかえって難しくすることがあります。
・被害者の方に直接連絡して、真意を確かめようとすること
・「示談したのだから」と強い調子で伝えること
・その場を収めようとして、追加の金銭を提示すること
・説明を十分に受けないまま、新たな書面に署名すること
・何もせずに様子を見続けること
特に、直接の連絡は避けるほうがよい場面が多くあります。接触しない旨の約束がある場合には約束に反することになりますし、手続の段階によっては、働きかけと受け取られるおそれもあります。相手方に代理人がついている場合、その代理人を通さずに直接交渉することは、弁護士の職務上も制限されています。
これから示談を考えている場合
まだ示談の前段階にある方にとっては、後から食い違いが生じにくい形にしておくことが、そのまま備えになります。対象となる事案がどの範囲かを具体的に書き入れること、当事者が誰と誰かをはっきりさせること、支払いの記録を残すこと、そして宥恕という言葉の意味を双方が理解したうえで記載することです。
条項の具体的な組み立て方については、別の記事で詳しく取り上げています。ここでは、書面の作り方そのものが、後日の展開に影響するという点だけを挙げておきます。
弁護士に相談する意味
示談が成立した後に処罰を求める意思が示された場面では、民事の契約の話と刑事手続の話が同時に動きます。どちらの層の問題なのかを切り分けたうえで、捜査機関や裁判所に何をどのように伝えるかを組み立てる作業が必要になります。
また、相手方との連絡は代理人を通じて行うことになるため、窓口を一本化する意味もあります。ご本人が直接動くことで生じる不利益を避けながら、必要な説明を届けることができます。
もっとも、弁護士に依頼したからといって、望む結果が約束されるわけではありません。事件の内容、被害の程度、これまでの経過によって見通しは変わります。その前提を共有したうえで、今の段階でできることを検討することになります。
よくあるご質問
処罰を求めると言われた場合、支払った示談金は返してもらえますか
示談が有効に成立しているのであれば、被害者の方の気持ちが変わったことを理由に返還を求めることは、通常は難しいと考えられます。示談金は、生じた損害の賠償として支払われたものだからです。ただし、示談そのものが取り消された場合や、そもそも合意が成立していなかったと評価される場合には、精算が問題になり得ます。
示談書に「今後告訴しない」と書いてあれば、告訴されませんか
告訴をする権利をあらかじめ放棄する合意については、その効力を否定した裁判例があります。また、示談書の記載が捜査機関の判断を直接拘束するわけでもありません。記載に意味がないということではなく、当事者間の約束と、国の手続とは層が違う、と理解しておくのが実態に近いといえます。
起訴された後に処罰を求める意見が出されたら、示談書の意味はなくなりますか
なくなるわけではありません。被害の回復が図られた事実、示談が成立した事実は記録に残ります。そのうえで、その後に示された意見も併せて量刑の判断材料になります。どちらか一方だけが見られるという扱いにはなりません。
まとめ
この記事の内容を整理します。
・「宥恕の撤回」という言葉には、示談契約の効力、宥恕の記載、告訴の取消しという三つの異なる話が混ざっている
・宥恕は条文上の制度ではないため、これを取り消すための手続も定められていない
・後から示された処罰を求める意思は、撤回ではなく新たに示された意思として扱われる
・先に作成した示談書が消えるわけではなく、二つの資料が並んで残る
・告訴の取消しについては、公訴の提起までという時期の制限と、やり直しを制限する規定が法律に置かれている
・示談の効力そのものを争う主張であれば、錯誤、詐欺・強迫、公序良俗、債務不履行といった民事の枠組みで検討することになる
・分割払いの遅れや約束違反が、気持ちの変化のきっかけになっている場合がある
・知らせを受けたら、直接連絡を取る前に、手元の示談書と支払いの記録、手続の段階を確認する
ご相談を検討されている方へ
示談が成立した後に処罰を求める意思が示された場面では、状況の整理と、伝える相手・伝え方の選択が結果に影響します。手続がどの段階にあるかによって、とり得る対応も変わります。ご自身の状況をどう位置づけるべきか迷われている場合は、資料を手元に用意したうえで、早めにご相談いただければと思います。


