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傷害事件の当事者になり、相手方から治療費の請求を受けたとき、その金額に戸惑われる方は少なくありません。数回の通院に見合わないと感じる金額が書かれていたり、想定より長い期間の治療費が並んでいたりすることがあります。一方で、加害者とされる立場では強く反論しにくく、言われたとおりに支払うほかないのではないかと考えてしまいがちです。
しかし損害賠償の場面では、請求書に書かれた金額と、法律上負担することになる損害額は、別の数字として扱われます。ここでは、傷害事件で負担すべき損害の範囲がどのような枠組みで決まるのか、治療費が高額になっているときにどこを確認すればよいのかを整理します。
請求された金額が、そのまま負担すべき額になるわけではない
けがをさせた場合、民法709条により、その行為によって生じた損害を賠償する責任を負います。もっとも、同条が負担させているのは「これによって生じた損害」であり、被害を受けた方が実際に支払った金額のすべてが自動的にこれに当たるわけではありません。
賠償の対象になるのは、その行為との間に相当な因果関係があると認められる範囲の損害です。治療費についていえば、その治療が事件によるけがのために必要であり、内容・頻度・単価が相当といえる範囲、という枠がかかります。この必要性・相当性は、賠償を請求する側が示していく事柄と整理されています。
つまり、届いた請求書は「被害を受けた方が支払った(あるいは支払う予定の)金額」を示す資料であって、「負担すべき損害額」を確定した書面ではありません。両者が一致することも珍しくありませんが、一致しないこともあります。
傷害事件で賠償の対象になる損害の全体像
治療費だけを見ていると、金額の当否を判断しにくくなります。まず、どの費目がどの資料で裏づけられるのかを整理しておくと、請求書のどこを確認すればよいかが見えやすくなります。
| 費目 | 内容 | 対応する資料 |
|---|---|---|
| 治療費 | 診察・検査・投薬・手術・リハビリなどの費用 | 診療報酬明細書、領収書 |
| 通院交通費 | 通院のための交通費 | 通院日の分かる資料、経路と実費の分かる資料 |
| 入院雑費・付添費 | 入院中の日用品費、付添いが必要だった場合の費用 | 入院期間の分かる資料、付添いの必要性に関する医師の意見 |
| 休業損害 | 治療や通院のために働けなかったことによる収入の減少 | 休業損害証明書、給与明細、確定申告関係の書類 |
| 慰謝料 | けがをしたこと自体による精神的な苦痛 | 入通院の期間・実日数が分かる資料 |
| 物の損壊 | 衣類・眼鏡・携帯電話などが壊れた場合の損害 | 購入時期や価格の分かる資料、修理見積書 |
| 後遺症に関する損害 | 治療を続けても症状が残った場合の損害 | 後遺症の内容に関する医師の判断 |
請求の総額が大きい場合、内訳を見ると治療費以外の費目が積み上がっていることもあります。総額だけで判断せず、費目ごとに分けて見ることが出発点になります。
治療費が高額になるときの三つの経路
治療費という一つの費目が膨らむとき、その原因はおおむね三つに分かれます。どの経路で膨らんでいるのかによって、確認すべき資料も、話し合いの内容も変わってきます。
一つ目は「治療の量」
けがの程度に比べて診療行為が多い場合です。賠償実務では、医学的な必要性や相当性が認められない診療を「過剰診療」、必要以上に手厚い診療を「濃厚診療」と呼んで区別する考え方が用いられてきました。同じ日に複数の医療機関にかかっている、症状が落ち着いた後も高い頻度の通院が続いている、といった形で現れます。
二つ目は「治療の単価」
健康保険を使わずに自由診療で治療を受けた場合、同じ診療内容でも計算される金額が大きくなることがあります。医療機関と患者の間でどのような単価の取り決めがあったとしても、加害者が賠償する額は事件と相当因果関係のある範囲に限られると整理されており、裁判例では健康保険の点数計算を一応の基準として相当な単価を判断する考え方が示されています。社会一般の診療費の水準と比べて著しく高い場合には「高額診療」として、その差額部分について因果関係が否定されることがあります。
三つ目は「治療の期間」
けがそのものは改善しているのに通院が長く続いている場合、後半部分の治療費について事件との結びつきが問題になります。損害賠償の実務では、それ以上治療を続けても改善が見込めなくなった時点(症状固定と呼ばれます)を一つの区切りとし、それ以降の費用は別の枠組みで検討します。ただし、これは損害賠償の実務で発達した区切りであって、刑法の傷害罪に法定の基準として置かれているものではありません。
医師の判断と、賠償の範囲の判断は別に行われる
「医師が必要だと判断した治療なのだから、費用も全額が損害になるはずだ」と考えられがちですが、裁判例の整理はこれとは少し異なります。
過剰診療かどうかについて、裁判例は医師の裁量を広く尊重する立場をとっています。診療当時の患者の状況から客観的に見て、適応する病状がないのに治療した場合や、その治療を支持する見解がなく明らかに合理性を欠く場合など、医師の裁量の範囲を超えたと認められる場合に限って、必要適切とはいえない過剰な診療に当たると判断したものがあります(東京地裁平成元年3月14日判決)。治療内容そのものは、簡単には否定されないということです。
他方で、その治療費のうちいくらを加害者が賠償するかは、医療機関と患者の間の取り決めだけで決まるものではなく、事件との相当因果関係のある範囲という法的な判断になります。同じ請求書について、「治療内容が不合理とはいえない」という結論と、「賠償額としては請求額の全部までは認められない」という結論は、両立し得ます。
健康保険が使われている場合、請求権は二つに分かれる
見落とされやすいのが、被害を受けた方が健康保険を使って治療を受けている場合です。
暴力行為による傷害も、健康保険では「第三者の行為による傷病」として扱われます。この場合、被保険者は「第三者の行為による傷病届」を提出することとされており(健康保険法施行規則65条)、保険者は保険給付を行った価額の限度で、被害を受けた方が加害者に対して有する損害賠償請求権を取得します(健康保険法57条1項)。療養の給付については、費用の額から一部負担金に相当する額を控除した部分が対象です。
その結果、治療費に関する請求権は次のように分かれます。
| 請求する主体 | 対象となる部分 | 根拠 |
|---|---|---|
| 被害を受けたご本人 | 窓口で負担した一部負担金に相当する部分 | 民法709条 |
| 保険者(健康保険組合・協会けんぽなど) | 保険給付として支払われた部分 | 健康保険法57条1項 |
被害を受けた方から治療費の総額(窓口で負担した額ではなく、診療にかかった費用の全額)を請求されている場合、その中に保険者が取得している部分が含まれている可能性があります。
示談の前に確認しておきたい「二重払い」
この構造から、加害者側にとっての注意点が一つ出てきます。保険者が取得した部分について被害を受けた方に支払ってしまうと、後から保険者にあらためて請求される可能性が残るという点です。
健康保険組合の案内でも、保険者に連絡しないまま示談が成立した場合には、立て替えた治療費を加害者に請求できなくなり、被保険者本人に請求することがある、という趣旨の説明がなされています。当事者の間だけで話を進めると、どちらの側にも想定外の負担が生じかねません。
治療費を含む示談を検討する際には、書面を取り交わす前に次の点を確認しておくことが考えられます。
・健康保険を使って治療を受けたのかどうか
・「第三者の行為による傷病届」が提出されているか
・示談することについて保険者に連絡がなされているか
勤務中や通勤途中の出来事だった場合
被害を受けた方が仕事中や通勤途中にけがをした場合には、労災保険から給付が行われることがあります。この場合も構造は同じです。政府が保険給付をしたときは、その給付の価額の限度で損害賠償請求権を取得し(求償)、被害を受けた方が先に加害者から損害賠償を受けたときは、政府はその価額の限度で保険給付をしないことができる(控除)と定められています(労働者災害補償保険法12条の4)。
示談を検討する際に、労災の手続が進んでいるかどうかを確認しておく必要があるのは、健康保険の場合と同様です。
請求に含まれやすいものの、当然には損害と認められないもの
請求書には、けがに関連して支出したさまざまな費用が並ぶことがあります。次のような費目は、内容によって扱いが分かれます。
・差額ベッド代……患者側の希望と書面による同意に基づいて発生する費用です。同意書による確認がない場合、患者本人の治療上の必要による場合、病棟管理の都合などで実質的に患者の選択によらない場合には、医療機関が徴収してはならないものとされています(厚生労働省通知)。事情を確認しないまま全額を前提に話を進めるのは適当ではありません
・付添費……付添いの必要性について医師の意見があるかどうかで扱いが変わります
・通院交通費……通常必要な交通手段による実費が基準となり、タクシーの利用については必要性が問われることがあります
・診断書料などの文書費用……事件との関係で必要になった範囲のものが対象になります
・けがと関係のない持病の治療……同じ医療機関で並行して治療を受けている場合、明細の内訳を確認する必要があります
慰謝料は治療費の金額に連動して決まるものではない
治療費が高額だからといって、慰謝料もそれに比例して高くなるという関係にはありません。けがをしたこと自体による精神的な苦痛に対する賠償は、治療にかかった費用の多寡ではなく、けがの内容や入通院の経過などを踏まえて検討されます。自由診療で単価が高くなったことによって治療費が膨らんでいる場合、その事情は慰謝料の評価と直接には結びつきません。
逆に、治療費が少額であっても、事件の内容によって精神的な苦痛が大きいと評価されることはあります。費目ごとに根拠が異なる以上、総額だけを見て高い・安いと評価するのは実態に合いません。
弁護士費用や遅延損害金が上乗せされている場合
請求書に、被害を受けた方が依頼した弁護士の費用が加算されていることがあります。この点について判例は、不法行為の被害者が自己の権利を守るために訴えの提起を余儀なくされ、訴訟追行を弁護士に委任した場合には、事案の難易・請求額・認容された額その他の事情を斟酌して相当と認められる額の範囲内のものに限り、不法行為と相当因果関係に立つ損害になるとしています(最高裁昭和44年2月27日判決)。訴訟を前提とした判断であり、示談交渉の段階で支出された弁護士費用の実額がそのまま加算されるという性質のものではありません。
遅延損害金については、不法行為に基づく損害賠償債務は催告を要することなく不法行為の時から遅滞に陥ると解されており(最高裁昭和37年9月4日判決)、事件の日から計算されます。事件から長い期間が経ってからの請求では、この部分が積み上がっていることがあります。
相手方にも落ち度がある場合、持病が関係している場合
言い争いから双方が手を出した場面や、相手方の挑発が先行していた場面では、賠償額の算定にあたって被害を受けた方の落ち度を考慮できるかが問題になります。民法722条2項は、被害者に過失があったときは裁判所がこれを考慮して賠償額を定めることができると規定しており、故意による加害行為の場合にも被害者側の落ち度を考慮する余地があると考えられています。ただし、これは民事の賠償額に関する話であり、刑事責任の有無とは別に検討されます。
被害を受けた方の持病や体質が損害の拡大に関係している場合には、素因減額と呼ばれる考え方が問題になります。判例は、加害行為と被害者の疾患がともに原因となって損害が発生し、加害者に全部を賠償させるのが公平を失するときには、民法722条2項を類推適用して疾患を斟酌できるとしています(最高裁平成4年6月25日判決)。他方で、疾患に当たらない身体的特徴については、特段の事情がない限り斟酌することはできないとした判例もあります(最高裁平成8年10月29日判決)。
いずれも、減額を主張する側が事情を示していくことになります。被害者側の過失についても、立証責任は賠償義務者にあるとされています(最高裁昭和43年12月24日判決)。「相手にも非がある」という主張は、資料の裏づけがあってはじめて意味を持ちます。
刑事事件の示談金は、民事の賠償額と同じ数字とは限らない
ここまでは、法律上負担することになる損害の範囲の話です。刑事事件の場面では、これとは別の考慮が入ります。
示談は、当事者が互いに譲歩して争いをやめる合意です(民法695条)。被害を受けた方に応じる義務はなく、加害者側が「計算上はこの金額が上限のはずだ」と主張しても、それだけで合意に至るものではありません。他方で、示談の成立や被害弁償の状況は、検察官が処分を決める際に考慮される事情の一つでもあります(刑事訴訟法248条)。
そのため、損害の範囲を検討する作業と、実際にいくらで合意するかという判断は、別々に進むことになります。それでも損害の範囲を整理しておくことには、次のような意味があります。
・提示する金額の根拠を説明できるようになる
・上乗せ部分がどこにあるのかを把握したうえで判断できる
・支払った後に別の主体から請求を受ける事態を避けやすくなる
・話し合いがまとまらなかった場合に、経過を説明する材料が残る
金額に疑問があるときに確認したい点
請求を受けた段階で、次の点を確認しておくと、話し合いの土台が整いやすくなります。
・診断書の傷病名と、請求されている治療の内容が対応しているか
・診療報酬明細書があるか(領収書の総額だけでは内訳が分かりません)
・健康保険や労災保険を使ったのか、自由診療か
・通院の期間と実日数、その間の症状の経過
・治療費以外の費目(休業損害・慰謝料・弁護士費用・遅延損害金など)がどのように積み上がっているか
これらは、相手方を問いただすためのものではありません。金額の当否を検討する前提として、どのような資料に基づく請求なのかを把握するための確認です。
避けたい対応
金額に納得がいかない場面でも、次のような対応は状況を悪くしやすいものです。
・請求書の内容を確認しないまま、その場で支払いを約束する書面に署名する
・逆に、金額が高いという理由だけで連絡を絶ってしまう
・被害を受けた方に直接連絡して、治療内容や通院の必要性を問いただす
・「健康保険を使えば安く済むはずだ」といった趣旨の要求を本人に伝える
・診断書や明細を受け取らないまま、口頭のやり取りだけで金額を決める
被害を受けた方への直接の連絡は、それ自体が新たな問題を生むことがあります。資料の確認や金額の検討は、代理人を通じて行うことが考えられます。
よくあるご質問
Q.請求された治療費が高いと感じます。支払いを断ることはできますか。
A.賠償の対象になるのは相当な因果関係のある範囲の損害ですから、請求額の全部に応じなければならないとは限りません。もっとも、けがをさせたこと自体についての賠償義務がなくなるわけではなく、支払いを一律に拒むという対応は現実的ではありません。まずは内訳と資料を確認し、どの部分について認識が異なるのかを特定するところから始めることになります。
Q.被害を受けた方が健康保険を使わずに治療を受けていました。全額を負担することになりますか。
A.自由診療であっても、治療内容が不合理とはいえないのであれば、その治療自体は否定されにくいと考えられます。ただし、賠償の対象になる金額は事件と相当因果関係のある範囲に限られ、単価が社会一般の水準と比べて著しく高い場合には、その部分について争いになることがあります。明細を確認したうえで検討する場面です。
Q.示談書に清算条項を入れておけば、あとから治療費を請求されることはありませんか。
A.示談の当事者の間では、清算条項によって解決済みの範囲が定まります。ただし、保険者が健康保険法57条1項によって取得している部分は、示談の当事者になっていない主体の権利です。健康保険や労災保険が使われている場合には、書面を取り交わす前にその点を確認しておく必要があります。
まとめ
本記事の内容を整理すると、次のとおりです。
・請求書に書かれた金額と、法律上負担することになる損害額は別の数字です
・賠償の対象は相当な因果関係のある範囲であり、治療費については必要性と相当性が枠になります
・治療費が膨らむ経路は、治療の量・単価・期間の三つに整理できます
・治療内容そのものは医師の裁量が尊重されますが、賠償額の範囲は法的な判断として別に検討されます
・健康保険や労災保険が使われている場合、治療費の請求権は被害を受けた方と保険者に分かれます
・差額ベッド代・弁護士費用・遅延損害金などの上乗せ部分は、費目ごとに扱いが異なります
・相手方の落ち度や持病を理由とする減額は、主張する側が事情を示していくことになります
・刑事事件の示談は合意であり、損害の範囲を検討する作業とは別の判断が必要になります
請求された金額に疑問があるとき、その違和感には理由があることも、資料を確認してみると納得できる内容だったということもあります。いずれにしても、内訳と根拠を把握したうえで判断することが、その後の対応の見通しにつながります。


