ホストクラブの売掛|客が負う支払義務の限界
風俗店とのトラブルで「示談書にサインしてほしい」と言われたとき、多くの方がまず気にするのは金額です。ところが、後から困りごとになるのは、金額そのものよりも「書かれていなかったこと」であることが少なくありません。支払いは終えたのに数か月後に同じ件で連絡が来た、店との話はついたはずなのに本人から別に請求が届いた、といった相談は実際にあります。
示談書は、起きたことをなかったことにする書面ではなく、何がどこまで終わったのかを文字にして固定する書面です。固定されていない部分は、そのまま残ります。この記事では、風俗トラブルの示談書で押さえておきたい6つの条項を、支払う側・署名する側の視点から整理します。
はじめに──この記事で扱うこと・扱わないこと
本記事は、成人同士のトラブルで、金額や支払いについて話し合いが進みつつある段階を想定しています。次の点は別の論点になるため、ここでは踏み込みません。
- 請求されている金額が妥当かどうか、という金額の当否の判断。
- 「罰金」「違約金」「慰謝料」といった名目ごとの法的根拠の検討。
- 一括で支払えない場合の分割合意の条項(遅延損害金・期限の利益・公正証書など)。
- すでに警察から呼び出しを受けている、逮捕されたなど、刑事手続が具体的に動いている場面での個別判断。
また、店のルールに反する行為をすすめる趣旨の記事ではありません。あくまで、話し合いで解決する段になったときに、書面をどう読むかという実務的な話です。
なぜ「条項」が問題になるのか
民法は、当事者が互いに譲り合って争いをやめる合意を「和解」と呼び(民法695条)、和解が成立すると、その内容で権利関係が確定するとしています(民法696条)。示談書はこの和解を書面にしたものです。
つまり、示談書に書かれた範囲でだけ、争いが終わるということになります。裏を返せば、書かれていない相手・書かれていない出来事・書かれていない約束は、確定していないまま残ります。「条項が抜けると後で効かない」というのは、この構造から来ています。
もうひとつ、示談書には民事の役割と刑事の役割の両方があります。金銭の清算という民事の意味と、被害を受けた側の気持ちが一定程度おさまったことを示すという刑事の意味です。この二つは自動的に連動しないため、条項の書き分けが必要になります。
風俗トラブルに特有の前提──相手が「二層」になりやすい
一般的な刑事事件の示談は、加害者とされる人と被害を受けた人の一対一です。ところが風俗トラブルでは、表に出てくる相手が店で、権利を持っているのは在籍する女性本人、という二層構造になりやすいという特徴があります。
客の側は、通常、相手の本名も連絡先も知りません。連絡を取ろうにも店を通すしかない、という状況が普通です。一方で、店が受け取ったお金が本人に渡っているか、店の担当者が本人の意思を反映して話しているかは、外からは見えません。
この点について、示談交渉の実務では、店の担当者が窓口になっている場合に、それが本当に本人の意思を反映したものかを確認する必要があると指摘されています。確認しないまま窓口の担当者にお金を渡しても、本人との間では解決していない、という事態が起こり得るからです。
なお、店が報酬を得る目的で従業員に代わって示談交渉を行うことは、弁護士法72条が禁じる非弁行為にあたると判断される場合があります。この点は交渉の枠組みそのものに関わるため、別途の検討が必要です。
示談書に入れておきたい6条項
| 条項 | 何を決めるものか | 抜けたときに起きやすいこと |
|---|---|---|
| ①当事者と対象の特定 | 誰と誰の、いつの何についての合意か | 別の相手・別の出来事として、もう一度請求される |
| ②支払 | 金額・名目・支払方法・期限・受領の確認 | 支払ったのに届いていないと言われる、追加を求められる |
| ③清算 | この件はこれで終わりという相互の確認 | 同じ出来事について再び連絡が来る |
| ④秘密保持 | 口外しない範囲と、例外として話せる相手 | 家族や勤務先に伝わる、ネットに書かれる |
| ⑤接触・来店 | 今後の連絡方法と来店の扱い | 連絡が続く、来店をめぐって再びもめる |
| ⑥刑事に関する条項 | 処罰を求めない意思の確認 | 示談したことの意味が手続に伝わりにくい |
条項① 当事者と対象の特定
最初に決まるべきは、この合意が誰と誰の間のものかです。風俗トラブルでは、ここが最も抜けやすい部分です。
- 相手方は店(法人・屋号)なのか、在籍する女性本人なのか、双方なのか。
- 店が本人を代理する形をとるなら、代理する権限があることをどう確認するか。
- 本人の氏名を書面に出せない場合、どのように特定するか。
代理については、代理人が本人のためにすることを示してした意思表示が本人に効力を生じる、というのが民法99条の考え方です。逆に、権限のない人が本人の名で結んだ合意は、本人が追認しない限り本人に効力を生じません(民法113条1項)。つまり、店の担当者と交わした書面が本人を拘束するかどうかは、権限の有無で決まります。実務では、本人からの委任状や、本人の署名がある書面を求める形が取られます。
支払いについても同じ問題があります。受領する権限がない人に払っても、原則として弁済としての効力は生じません。取引上の社会通念に照らして受領権限があるように見える人への弁済を保護する規定(民法478条)はありますが、支払った側が善意で、かつ過失がなかったことが前提になるため、常に守られるとは限りません。
なお、性的な事件では、相手の氏名や住所を書面に記載しない配慮が取られることがあります。刑事の記録上の事件番号や、日時・場所による特定で足りる形にする方法があり、これは相手方の安全に配慮しつつ合意を成立させるための工夫です。「名前が書けないから示談できない」わけではありません。
対象となる出来事の特定も同様です。日時・場所・どの利用分についての話なのかを書かないと、後日、別の日の別の件だという主張が出てきたときに、書面で反論できません。
条項② 支払
金額だけを書いた書面は、意外と多く見かけます。確認したいのは金額のほかに次の点です。
- 金額と、その名目(何に対する支払いか)。
- 支払方法(振込か現金か)と、振込先の名義。
- 支払期限。
- 支払いが完了したことを、どの書面で確認するか。
現金を手渡す場合は、その場で領収書を受け取っておくことが基本になります。振込であれば記録が残りますが、振込先の名義が相手方本人と一致しているかは確認したい点です。店の口座に振り込む形になるなら、それが本人への支払いとして扱われる建て付けになっているかを、書面上で確認しておくことになります。
分割払いになる場合は、期限の利益や遅延損害金など、確認すべき項目が別に増えます。一括で完結する場合とは設計が変わるため、分割については別の記事で扱います。
条項③ 清算条項
清算条項は、示談書の中でも中核にあたる部分です。「本件に関し、当事者間には本示談書に定めるほか、何らの債権債務がないことを相互に確認する」といった形で置かれます。
この条項がないと、金銭を支払って刑事の面が落ち着いたとしても、民事の請求権は残っていることになります。後から追加の請求が届いたときに、「あの合意で全部終わったはずだ」と言うための根拠がありません。
客側から見て注意したいのは、清算する当事者の範囲です。店とだけ清算条項を結んでも、本人が当事者になっていなければ、本人からの請求はその外側に残ります。逆に本人とだけ清算しても、店が自分の損害だと主張する部分は残り得ます。誰との間で終わらせるのかを、条項①と対応させて考える必要があります。
もうひとつ、清算条項があっても万能ではありません。示談の時点で当事者が予想していなかった損害については、示談の効力が及ばないと判断される場合があると考えられています。健康被害のように後から表面化しうる事情がある場面では、この点を踏まえた条項の作り方が問題になります。
なお、清算条項の文言をどう書くかで対象の広さが変わる、という論点は、別の記事で詳しく扱っています。
条項④ 秘密保持(口外禁止)
風俗トラブルで相談を受けていて、金額と同じくらい重く語られるのがこの点です。家族や勤務先に伝わることへの不安は、多くの方に共通します。
押さえておきたいのは、口外禁止は片方だけの義務にしないことです。相手方だけに黙秘義務を課す形は受け入れられにくく、双方が守る相互の義務にしたほうが、合意として成立しやすくなります。
同時に、例外を書いておくことも大切です。何も書かないと、弁護士に相談することや、家族に説明することまで違反になりかねません。一般には、次のような相手は例外として書き出しておきます。
- 弁護士、税理士など、法律上の守秘義務を負う専門家。
- 捜査機関や裁判所から求められた場合の対応。
- 法令に基づく開示が必要な場合。
違反した場合の違約金を定めることもあります。違約金は損害賠償額の予定と推定されます(民法420条3項)。ただし、金額が過大な場合には、その有効性が争われる余地があります。額を大きくすれば安心、という性質のものではありません。
条項⑤ 接触・来店
今後の連絡と、その店との関わりをどうするかを決める条項です。相手方の不安を減らすための条項として置かれることが多いのですが、客側から読むと、自分の行動を制約する条項でもあるという点は意識しておきたいところです。
具体的には、次のような形で書かれます。
- 電話・メール・SNSなど、直接の連絡を行わないこと。
- 指定された店舗に立ち入らないこと。
- 第三者を通じて連絡を取ろうとしないこと。
- 互いに誹謗中傷や、事実の摘示による評価の低下につながる発信をしないこと。
範囲があいまいだと、後で「これは違反か」ともめる原因になります。対象の店舗、期間、偶然に居合わせた場合の扱いまで書いておくと、双方にとって運用しやすい条項になります。
条項⑥ 刑事に関する条項
刑事の手続が動いている、あるいは動く可能性がある場合には、処罰に関する相手方の意思を書面に残すかどうかが問題になります。
よく誤解されるのが「被害届の取下げ」です。告訴には取消しの規定があり、公訴の提起があるまでは取り消すことができます(刑事訴訟法237条1項)。一方、被害届については、法律上「取下げ」という制度が置かれていません。実務上、取下げの書面が提出されることはありますが、それ自体が手続を止める効力を持つわけではありません。
そのため、書面に残す意味があるのは、取下げよりも「処罰を求めない」という意思の表明のほうです。これを宥恕(ゆうじょ)条項と呼びます。検察官が起訴・不起訴を判断する際には、犯人の性格や年齢、境遇、犯罪の軽重や情状、犯罪後の情況が考慮されます(刑事訴訟法248条)。被害を受けた側の処罰感情は、この情状のひとつとして扱われます。
ただし、示談が成立したからといって、処分の結果が決まるわけではありません。不同意性交等罪や不同意わいせつ罪は告訴がなくても起訴できる犯罪であり、示談の有無だけで手続の帰趨が定まるものではない、という前提で考える必要があります。
入れても効きにくい条項・かえって不利になりうる記載
条項を足せば足すほど安全になる、というわけではありません。次のような記載には注意が必要です。
将来の告訴を一切しないという約束
告訴する前に告訴権を放棄しても、法律上、告訴権が消滅する効果は生じないとした昭和28年の裁判例があります。「今後一切告訴しない」と書いても、そのとおりに機能するとは限りません。宥恕という形で気持ちの部分を記録するほうが、実質的な意味を持ちます。
事実関係を詳しく認める記載
示談書は民事の書面ですが、作成された書面が刑事の手続や、別の紛争で参照される場面はあります。何をしたのかを詳細に書き込むことが、常に有利に働くとは限りません。特に、事実関係についての認識が当事者間で食い違っている段階では、どこまで書くかは慎重に判断する必要があります。
範囲が広すぎる違約金・制裁条項
前述のとおり、違約金は賠償額の予定と推定されますが(民法420条3項)、内容や金額によっては効力が争われます。相手方から提示された書面に、違反の定義があいまいなまま高額の違約金が付いている場合は、その定義から詰め直すことになります。
署名する前に確認したい形式面
- 書面は2通作成し、双方が1通ずつ保管する形になっているか。
- 署名は自署で、相手方の署名も揃っているか(私文書は、本人の署名または押印があるときに真正に成立したものと推定されます。民事訴訟法228条4項)。
- 訂正箇所の処理(訂正印など)が済んでいるか。
- 金額・日付・氏名の表記に誤りがないか。
- 支払いの証跡(領収書・振込控え)をどう残すか決まっているか。
その場で署名を求められた場合、持ち帰って読み直すという選択肢は残っています。書面を写真に撮って保管したうえで、内容を確認してから判断する形で構いません。急かされる状況ほど、いったん立ち止まる意味があります。
相手が書面を作らない場合
「払ってくれれば終わりにする」と口頭で言われるだけで、書面が出てこないことがあります。口頭の合意も合意ではありますが、後日、内容が争いになったときに証明する手段がありません。
この場合は、支払いの前に、こちらから合意内容を確認する書面やメッセージを送っておく方法があります。金額・対象・支払後は請求しないこと、といった要点を文章にして、相手方から返信をもらう形です。完全な示談書には及びませんが、記録としては残ります。
よくある質問
Q. 店と示談すれば、本人との関係も終わりますか
自動的には終わりません。本人が当事者になっているか、店に本人を代理する権限があるかによります。書面の当事者欄と、清算条項の範囲を確認してください。
Q. 示談書に決まった書式はありますか
法律上、決まった様式はありません。当事者が合意した内容を記載することになります。書式が自由であるぶん、抜けが生じやすいとも言えます。
Q. 支払いが終わった後に、追加で請求されたらどうなりますか
清算条項があれば、それを根拠に対応することになります。ただし、示談の時点で予想できなかった損害については、別途の議論になる場合があります。
Q. 相手の氏名が分からないまま示談できますか
氏名以外の方法で当事者と対象を特定する形が取られることがあります。代理人を通じて手続を進める場面では、この形が用いられます。
弁護士に相談する意味
示談書の条項は、ひとつずつ見れば難しい文章ではありません。難しいのは、自分の事案でどの条項が抜けていて、それが後で何を招くかを見通す部分です。とくに風俗トラブルでは、相手方が店なのか本人なのかという入り口の部分で、書面の意味が大きく変わります。
また、相手方本人と直接やり取りすることが望ましくない場面も少なくありません。代理人を立てることで、連絡の窓口を一本化し、記録の残る形で交渉を進めることができます。弁護士には守秘義務があり、相談したこと自体が家族や勤務先に伝わることはありません。
まとめ
- 示談書は、書かれた範囲でだけ争いを終わらせる書面である。
- 風俗トラブルでは、相手方が店と本人の二層になりやすく、当事者の特定が最も抜けやすい。
- 支払いは、金額だけでなく、名目・方法・受領の確認まで書く。
- 清算条項は、誰との間で終わらせるのかという範囲が要点になる。
- 口外禁止は相互の義務にし、専門家への相談などの例外を書き出しておく。
- 接触・来店の条項は、客側から見れば自分の行動の制約でもある。
- 被害届に取下げの制度はなく、書面に残す意味があるのは処罰を求めない意思のほうである。
- 条項を足すほど安全になるわけではなく、事実を詳しく書き込む記載には慎重な判断が要る。
- その場で署名を求められても、持ち帰って読み直すという選択肢は残っている。
示談書は、相手のために作る書面であると同時に、自分が同じ話を蒸し返されないために作る書面でもあります。金額の話がまとまりかけている段階でも、書面の中身を確認する時間は取れます。判断に迷う箇所があれば、署名の前に一度、専門家に確認することをおすすめします。


