ふぐ試験準備ーふぐ免許が「別格」とされる訳②
料理人を目指す、貴方たちへ
銀座のふぐ職人、熊澤でございます。
今日は、一番お話したい、でも、お話したくない事です。
タイトル通り、
「死ぬ前にもう一度、貴方の料理を食べたい」
この言葉に関連して、お話できる事が、私には、少なくとも3度 ございます。
たいていは、直接ではないのですが。
そしてまた、3度、という回数も、数えるものか、どうか。
それでも、このお言葉を、伺ったときには、
「自分は これでやっていける」という、確かな自信に、なるのです。
ふぐさしと、競馬新聞と、ひれ酒と
最初は、とある大手出版社の社長を経験した方から。
亡くなってから、ご家族がそうおっしゃっていた、と、伝言されました。
都内のホテルで、「偲ぶ会」がある、と聞いて、私も伺いまして。
会場に、大伸ばしされて飾られた遺影は、
社員の方たちが、「こんなに寛いだお顔をした社長は、見た事がない」と。
でも、その遺影は、私の知る、「その方」よりも、
まだまだ、ずっと、厳しい表情でした。
私の知っている その人は、いつも、競馬新聞と、気を許した部下の方たちと、
今のような、一日一組の個室営業ではなかった当時、
店の一般席の一角で、
とても嬉しそうに、ふぐさしと、ヒレ酒を お呑みになってました。
寛いだ表情で、私に
「今度のひれ酒は、ヒレ、おニュウにしてね~」と。
実は、その方の、その時のお顔が、他のどの時にも見せない、
とても、解放された時、だったんだな~、と。
愛情は、松茸ご飯
2度目は、前述の方の、右腕を、務められた方から。
たまたま、季節柄作った、松茸ご飯を、大変お気に召されて、
「家に土産を持ち帰りたいから、ふぐさしと、松茸ご飯、ね。」
と、夕方にお電話を頂戴しまして、以来何度か、お弁当を お作りしました。
お持ちになる時の、嬉しそうな笑顔が、とっても素敵でした。
何年かして、その方も亡くなったのですが、
それから、また何年かしてから、社員の方に伺って、びっくり。
「奥様が重いご病気にかかって、
仕事人間だった方が、奥様の病室に、お弁当を持ち帰るようになった。
中でも、松茸ご飯を、奥様がお気に召していた」
と。
「あの人、社内では笑った事、ないのに、その話の時だけは、笑顔で。
誰が作った 松茸ご飯だろうね、って、社内でしばらく、話してたんですよ」
って。
その、松茸ご飯は、奥様への愛情だったのか、と。
結局、皆様が亡くなって、何年も経ってから、真相を伺ったのでした。
すき焼きと、塩煎り銀杏
3度目は、私と同じ お名前の方から。
ご常連だった その方が、めっきり、いらっしゃらなくなって。
ご病気になった、とは、伺っていたのですが、そのうち、
お身内の方から、お電話を頂戴しました。
「病室に持っていきたいから、すき焼きをご飯に乗せた、お土産を」
いつも、私の板場の すぐ横の席で、
ふぐさしと、すき焼きと、塩煎り銀杏を楽しんでいらした方。
お約束の お時間通りに、お作りして、
好物の 塩煎りした銀杏を、何粒か トッピングして、お渡ししました。
すぐ、病室の その方から、お礼のお電話を頂いたのですが、
お客様は、ご病気で苦しい中、お電話いただいて。
私の目の前には、お食事を楽しむ、他のお客様がいらして。
永く、黙ったまま。
結局「ああ」としか、お互い、言い出せませんでした。
半年余りたって、お兄様がご来店されて、
その お持たせご飯を召し上がった翌日、昏睡状態になって、
そのまま、亡くなったことを伺いました。
その日は、飲み過ぎた覚えが ございます。
とっても 寂しいけれど、自信になります
料理人を目指す皆様。
お客様に「死ぬ前にもう一度、貴方の料理を食べたい」と、思って頂ける事は、
料理人にとって、なによりの、誉れでございます。
その誉を感じる時は、たいていの場合、重くて、悲しいです。
それでも、冒頭で申し上げました通り、
料理人として、
「自分は、これで やっていける」
という、確かな自信=安心感 になるのです。
私も、いつかは寿命が尽きて、この世とは別の世界へ行くのですが、
できれば、本日お話した、3人の方たちを、その世界で、是非、探したいと存じます。
探したい、探して、こう申し上げたい。
「ありがとうございます。でも、私も、寂しかったです!」
って、ね(笑)
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