芍薬の花(ピンク、白)が咲いています
昔やっていた水戸黄門の時代劇を見たことはありますか?クライマックスになると格さんが「ここにおわす方をどなたと心得る、先の副将軍水戸光圀公なるぞ、頭(ず)が高い、控えおろう」と言った後、「この紋所が目に入らぬか」と葵の御紋が入った印籠(いんろう)を見せていましたね。印籠は知っている方も多いと思いますが、薬入れです。どうして印籠というのか疑問でしたが、当初は名前の通り、印や印肉をを入れる容器として使用されていたそうです。
印籠に入れて持ち運ぶ丸薬は、煎じ薬や粉薬に比べて、精油成分が揮発しにくく、保存性に優れていてます。なによりも携帯しやすいですね。丸薬は粉にした生薬に蜂蜜を加えて練り固めて作ります。成分の放出がゆっくりなため、即効性よりも持続した効果を求める時などにも用いられます。
携帯できる薬という点では粉薬(散薬)も便利です。散薬は、粉にした生薬を混ぜ合わせたものです。熱を加えないので精油成分が揮発しにくく、煎じた場合に、有効成分が抽出されにくい生薬に向いています。散薬は印籠に入れていなかったのか気になったので調べてみました。「雅遊漫録」(大枝流芳 1763年)に旅に出たときには不時の用意として丸薬、散薬他を印籠に入れておくとよいと書いてあるそうです(薬史学雑誌Vol. 24, No. 2より)。いつもは煎じ薬を飲んでいらっしゃる方で、旅行などお出かけの予定がある時は、その分だけ丸薬や散薬をご用意できますので、おっしゃってくださいね。
水戸黄門の話に戻ります。水戸光圀公というのは徳川光圀(とくがわみつくに)のことです。最近、栃木県大田原市湯津上にある上侍塚古墳(かみさむらいづかこふん)で、徳川光圀が330年前の発掘時に行った周溝の掘り直しの跡が見つかったそうです(3/7下野新聞SOONより)。徳川光圀のおじいさんは徳川家康公です。家康公は今年と同じ干支の壬寅生まれと聞いていたので、何年生まれなのか知りたくなり調べてみました。1543年生まれだそうです。干支は60種類あります。同じ干支なので、1の位は今年と同じ2のはずではないかと思い、さらに調べてみました。旧暦の天文11年12月26日生まれで、新暦(グレゴリオ暦)に換算した日が1543年1月31日だそうです。占いのように立春で干支が変わることにしないと、新暦で表した場合、家康公は寅年生まれではなくなってしまいますね。
今年の12月26日、久能山東照宮で徳川家康公御生誕480年の誕辰祭(たんしんさい)が催されます。