黄綬褒章 受章の御礼
今年もお盆を過ぎました。時間の経つのが速いです。このへんで知財から離れてチョッと一息つきたいと思います。
今回は「空間」について触れたいと思います。以前のコラム「心の不思議」の中でも触れましたが、私は、「真空」にこそ、真の世界が存在しており、宇宙に浮いている「天体」は、「真空」の世界とバランスをとる裏表の関係にあるのではと思っています。
この見方は、宗教的な見方であり、現実とかけ離れる感があるため、お前はオカルト信者かといわれそうですが、思考(空想)好きゆえの発想ですので、コーヒーブレイク程度に軽く読み流して下さい。
例えば、「光」は、「粒子」と「波」の双方の性質を持っており、「時間」の概念で説明した「デジタル」と「アナログ」の考え方と同様に考えることもできます。つまり、「粒子」を無限に繋げていけば「波」としての性質になり、「波」を無限に切り取って(あるいは集約して)いけば「粒子」としての性質になります。結局、これらは対極にありますが、いわば裏表の関係にあり、同じものと見ることができるのではと思います。
「天体」と「真空」は、宇宙全体から見れば一体の存在です。したがって、「天体」が一方の極である「粒子」で成立していることを考えれば、「真空」は無限の「波」で成立し、バランスがとれていると考えることもできます。
ところで、人間が地球上で認識できるのは極めて僅かです。例えば、目で見えるのはほんの僅かな「可視領域」であり、耳で聞こえるのはほんの僅かな「可聴領域」です。「真空」に、無限領域の「波(波動)」が存在すると仮定すれば、我々「人間」は、この「波」のほんの一部しか認識していないことになります。つまり、「真空」に無限領域の「波」が存在すれば、「多次元世界」や「霊界」など、人間が認識できない様々な世界が存在していても不思議はありません。
したがって、我々が思っている以上に、全てに因果関係が生じ、人間の思考や意思が、自分の内で収束することは考えられず、因果関係により、他に影響を及ぼすとともに、形を変えて自分に跳ね返ってくると思ったほうが自然であり、現実を見ても納得できると思います。そして、この現象は自分の想定したこととは異なり、(宇宙の法則に従った)想定外のことも少なくないと思います。
海の中で一匹の魚が泳げば、その波は全ての方向に伝わり、他の魚などに当たり跳ね返ってくるのと同じイメージです。自分から発した正又は負のエネルギーは消滅しないこと、また、時間の概念は存在しないと考えれば、この因果関係は人生のどの時点で自分に跳ね返ってくるかはわかりません。未来かもしれませんし過去かもしれません。
要は、何を言いたいのかというと、私は、人間の思考や意思のレベルは、波を基本とした正又は負のかなりのエネルギーで成立していると思っています。
したがって、「恨み」,「憎み」,「妬み」などの負のエネルギ要素に遭遇していても、あるべき「正しい思考(正エネルギ)」、つまり、「許し」(負エネルギーの消去)の心を基にしたプラス思考を心掛ければ、必ず、いつかどこかで良い形に変わって自分に戻ってくると信じています。実際、素晴らしい人たちの過去のエピソードを聞くと、イジメなどの負の出来事を正しく乗り越えてきていることが多いと思います。
また、「自殺」,「殺人」,「犯罪」などの負の行為は、周りを不幸にする最も「正しくない思考(負エネルギ)」であり、このようなときこそ、「自分」という存在(感情)から離れ、広い視野から、今、自分はどうあるべきかを正しく思考できれば、不幸を回避し、事態を反転させることができる一番の近道ではと思っています。
ちょっと分かりにくくなってしまいましたが、正エネルギーは、聖書にも書いてある「愛すること」、「希望をもつこと」、「信じること」などの心から生じると思っています。正エネルギーは与え、負エネルギーは奪うことになります。したがって、良かったと想える人生を築くには正エネルギーを貯えることが最も大切なことではと思っています。