「ら抜き言葉」 に見る 「日本語のあり方」

長野淳子

長野淳子

テーマ:気になる日本語

「ら抜き言葉」 とは

「ら抜き言葉」 とは 「~できる」 という可能の意味での 「られる」 の 「ら」 を抜いた言葉のことで、
動詞の可能形 「食べられる」 「出られる」 「見られる」 などから 「ら」 を抜いて、
「食べれる」 「出れる」 「見れる」 とした言い方を指します。


広まりをみせる 「ら抜き言葉」

「ら抜き言葉」 が問題とされるようになったのはかなり前のことで、
本来正しい言い方ではありませんし、薦められる言い方でもありませんが
今や若者層を中心に一般化しており、「もはや認めてもよいのでは」 という声も少なくありません。

様々な調査でも 「ら抜き言葉は全く使わない」 という人の方が少数派で、
近頃では 「話し言葉」 のみならず 「書き言葉」 でも、しばしば見られるようになっています。


「ら抜き言葉」 は 誤った日本語

 
しかし、現時点では 「共通語においては誤り」 とされ、少なくとも新聞等ではほとんど用いられていません。
中学の国語の教科書には 「見れる」 「出れる」 という言い方は、一般的とは言えない と説明されています。
教科書に取り上げられているということは、「現実的には、言及せずに放置しておけない状況にある」
ということでしょう。

近頃テレビに出ている 「政治家」 や 「文化人」 にも 「ら抜き言葉」 を平気で使っている人が結構いますが、
TV番組などで話し手が 「ら抜き言葉」 を使うと、テロップでは 「ら入れ言葉」 に直してあったりします。


「ら抜き言葉」 擁護論

このように 「ら抜き言葉」 に対して、まだまだ 「抵抗感」 を覚える人が多い中で、
「ら抜き言葉」 は 「可能」 と 「受身」 を区別するのに便利な表現・・・という 「擁護論」 もあります。

たとえば 「牛は食べられる」 という文章は、
「牛は食べることができる」 (可能) と 「牛は食べられてしまう」 (受身) という二つの捉え方ができるから、
(可能) の場合は 「ら抜き言葉」 の 「牛は食べれる」 に
(受身) の場合は 「ら入れ言葉」 の 「牛は食べられる」 にと、区別したほうがいいというのです。


「可能」 か 「受身」 かは、言葉の修飾によって伝えることができる

しかしこの (可能) と (受身) の区別は、別の言葉を付け加える 「言葉の修飾」 で解決できます。

(可能)= 「羊肉は苦手だけど、牛は食べられる」
(受身)= 「牧場の牛は食べられる運命だ」
とすれば、意味の違いはしっかりと伝わります。
「ら抜き言葉」 を使わずとも、前後を読めば伝わるようにすることができるのです。


「ら抜き言葉」 の見分けかた

「ら抜き言葉」 の見分けかたは、誰かを誘う、つまり 「勧誘の形」 に変えるだけですぐに分かります。

「よう」 が付くなら 「られる」 も付くと覚えて下さい。
「食べよう」 のように、「よう」 を付けられる動詞は 「られる」 をつけて 「食べられる」 と言えるのです。

● 見る  →見よう  →見られる
● 始める →始めよう →始められる
● 出かける→出かけよう→出かけられる


「ら抜き言葉」 は、なるべく使わないのが賢明

「ら抜き言葉」 は、実際には多く使われている表現で、これから先変化していく事も充分に考えられますが、
まだまだ 「気になる人」 ・ 「気にする人」 も多いので、現段階では使わない方が賢明と言えそうです。

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言葉には話す人の思いが宿ります。「生きた言葉」を日頃から使って、物事を人生をいい結果に導きましょう。ステージ・アップは、司会・朗読・講演・講座など様々なシーンに合わせて「生きた言葉」をお届けします!!

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