米国における中間所得層の没落で高まる不満は明日の日本の姿かも・・・
障害者や相対的貧困に置かれている人達や外国人等に関する事件や議論が起きています。
そうした事件の報道や議論に接した時にふと感じるのは、最近は共感や共生よりも突き放したような意見や排他的な感情が出てきてしまうという状況に対する危惧です。
相手の立場に立って考え共感する姿勢よりも、なぜか排他的で独善的な考え方によって、問題の本質から逸れた行動や議論が展開されてしまうようにも感じます。
客観的な情報が多いようで実は少なかったり、思い込みや誤った推測に基づく短絡的な結論が目立ち、刺激的な主張の方に話題が集中してしまうなど、インターネット特有の玉石混交で多様な情報が悪い方向に導いてしまっているような気がします。
世界的に経済が低迷する中で、私たちの気持の余裕もまた、無くなってきているのかもしれません。
なぜなら、経済的余裕と精神的余裕は相互にリンクしていると思うからです。
経済的余裕が無くなれば、より直接的な感情や短期的な行動が支配的になり、広い視野や将来的な展望や立場の違いを考慮する余裕が無くなる傾向にあると思うのです。
共感性が乏しい社会ほど攻撃的になるような気がしてなりません。
そう言えば、民主主義は共感が基本のシステムだと聞いたことがあります。
共感が乏しくなれば、共感する気持ちが働かなくなれば、立場の違いや人種や文化の違いを乗り越えられず、深く広い議論が成立しないまま安易な間違った選択に向かう事もあるというのが、民主主義に内在された弱点だと言われる事もあるのです。
今こそ、一歩立ち止まって将来を見据え、多様性や立場の違う人に寄り添う余裕を取り戻す必要があるのではないでしょうか?
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