国民の安心安全をどう捉えれば良いのだろうか?・・・
8月に入ると6日、9日そして15日と先の大戦の惨禍の記憶を手繰り寄せ、反省の思いを新たにする時期がやってきます。
国と国とが軍事力を行使して自分達の利益を追求する事がいかに愚かしい事かは歴史が示している通りですが、軍事力を背景にした圧力の行使を納める事は難しいようです。
自衛手段としての力や武器の行使を認めると、極端な例としてのアメリカの銃社会のようになってしまうのではないでしょうか?
積極的平和主義とは軍事力による平和維持や自衛権の行使も辞さないという事ですから、やはり戦争に繋がりかねない事態を含んでいます。
国と国の対立では、お互いに正当な利権の行使が主張されます。
話し合いでは解決出来ない主張の背景には、より現実的な力の脅威があり、その関係の方が影響力を持つので抑止力を高める必要があるのだという理屈の先には、歯止めの利かない軍事力の拡大競争があるのみです。
実は軍事力によって破滅的な戦争の抑止が保たれているのだという主張を耳にすると、人類が破滅しない限りの戦争は止めようがないと言っているようにも聞こえます。
お互いに主張する正当な利権はそれぞれが正当だとして譲らないので、最後は力の行使に頼らざるを得ないのでしょうか?
力を誇示し合うのが現実であって、力に頼らない世界平和など単なる空想や理想の産物で、現実にはなんの役にも立たない夢想なのでしょうか?
殺伐とした思いに駆られる今日この頃です。
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