ビジネスとしての一線と、人としての一線
毎年恒例のこの日がやってきました。
ハロウィン
いずれかのブログで仮装と火葬をかけて毎年書かせていただいております(笑)
現在の日本の「火葬」に関しては99%以上といわれています。
だから「仮装好き」みたいな切り口で今までは書いてきましたが今年はちょっと違います。
今回の注目点はハロウィンは「祭り」であるというコト。
神事という意味での祭りは氏子を中心に行われ今も地域ではありますが、国民を巻き込んでの祭りは少ない。
その部分では西洋の祭りでも受け入れられる、八百万の神をもち、自然にも精霊を感じることができる日本人がもっともとっつきやすい祭りであるとも取れる。
そして仮装することで匿名性を保てる、「憑依」されているといったところでしょうか(笑)
「土葬」に代表される地域の人が手間暇をかけて見送ることが、「火葬」が進むにつれ地域の人の手から離れ葬儀社へのバトンタッチとつながった。でも根っこではそういった祭り一つ一つが無くなることをどこかで拒んでいるのかもしれない。
「仮装のお祭り」がはやることは一つに「祭り」の意味を知らずに、自らの正体を隠して参加できる新しい「祭り」であることは受け入れやすかったし参加しやすかったのではないでしょうか。
日本人の根っこにある、お祭りと人との関係性の変化が現在のハロウィンのお祭り騒ぎにつながっているのでは。
日本のハロウィンは「火葬大国」が産んだ日本ならではの「仮装」文化なのかもしれない。