ご遺骨にも単衣の衣を
昨日の続きですが終活を真剣に進める人ほど、意識が高い。
その意識が裏目に出やすいのはお墓なのかもしれません。
自分がいままで墓地と関わってきた中でマイナスとなる情報だけをとらえると、どうも迷惑はかけられないという部分と結びつき、お墓そのものはいらないといったことになりがちなようです。
マイナスとなる情報だけになぜなりやすいのか。
いままでそれほどお墓詣りもしていないし、お寺さんなどとの関係も希薄になってきているので、
何かあったときに「取られた」という感情を持っている方が多いように思えます。
もちろん「とった、とられた」の関係になってしまっていることがおかしいのですが、
お客様と話していて感じるのはたとえば「寄付」という事象が発生したとき
「寄付をした」「させていただいた」という言葉より「寄付をとられた」「させられた」といった言葉をよく耳にします。
もちろん終活に取り組むかた全部がそうではありませんが、ブースで相談にのると多くのかたがお墓をたたむ相談に来ているのです。
石屋が終活と向き合うことはマイナスなのか?