みんな、ロダンの「考える人」になっていた
東海道・五十三次の終点であった京都・三条大橋。
今も現役として、豊臣時代から残る「疑宝珠(ぎぼし)」。
その中でちょうど160年前の元治元年(1864)6月5日に起こった、池田屋事件での刀傷が、
生々しく今も残っている。
長州藩、土佐藩の尊王攘夷派志士を新選組が襲撃し、一躍その存在感を示した。
しかしその時、桂小五郎(のちの木戸孝允)は偶然にもこの難を逃れ、
時代は一気に明治維新へと進むことになった。
いまは、誰もその傷跡を気に止めることもなく、多くの人や自動車が行きかっている。