令和最初のお正月と天神様
前回のコラムの続きから・・・
もともと、この村は江戸時代中期から開拓がはじまり、好漁場であるホタテ漁で生業を
行ってきたが、乱獲によりホタテが壊滅状態。次にニシン業に移るがこれも乱獲。
今度は、石炭による炭鉱で村を維持してきたが、これも時代の流れで衰退。
その後、一部の権力者のみが密漁を行うという村はさらに衰退していく。
そこで村の存亡をかけて、村の年間予算の半分以上をかけてホタテ漁の再興に取り組んだ。
ホタテの養殖、稚魚の放流、ヒトデ等の害敵の駆除、海岸の清掃 等々徹底した資源管理を
行い、ホタテ漁獲量日本一の村となった。
村にはホタテ御殿と呼ばれる豪邸が建ち、数多くの高級外国車も走っている。
今から132年前の明治25年に更なる漁場を求めて、石川県内灘の漁民がこの村でホタテの
貝場を開拓し、その漁法を普及させたことが、日本一リッチな村に繋がっている。
今でも、この村と内灘町は友好都市の関係にある。
そこには、石川県民にもあまり知られていないヒストリーがそこにはあった。
この歴史的つながりは、「能登復興」への一つのヒントとなるかもしれない。