新緑の中で、珍しい物に遭遇
石川県知事公舎の正門右手に、「壮猶館」の門が今も現存している。
石川県民にも意外と知られていないが、この「壮猶館」は、あの三島由紀夫と
深いつながりがある。
写真は三島由紀夫と川端康成
三島由紀夫の母方は金沢出身で、彼の体には金沢の血が流れていたことになる。
三島由紀夫の曽祖父にあたる橋健堂が、この「壮猶館」教授であった。
幕末、ペリー来航により江戸幕府の鎖国体制が崩壊し、幕府以外にも各藩も海防強化が
必要となり、加賀藩も軍事の近代化に迫られ、当時の上柿木畑の火術方役所の所管地に
様式軍事研究所「壮猶館」が現在の石川県知事公舎の所に建てられ、明治初年まで存続して
いた。
ここは、それまでの「藩校」の意味合いは薄く、加賀藩の一大軍事拠点として形成しており
後に、曽孫にあたる三島由紀夫にも少なからず影響を及ぼしたといわれている。
彼は著書「美しい星」で、金沢の街の様子を多く記述している。