花火大会の異変
丸岡と言えば、丸岡城で有名であるが、
その他にも丸岡町には、称念寺という古刹がある。
意外と知られていないが、あの明智光秀がこの寺で10年間浪人生活を送っていた。
斎藤道三の長男・義龍に敗れ、美濃から命からがらこの丸岡・称念寺に身を寄せた。
まさに「麒麟がきた」のである。
光秀は、この寺の門前で寺小屋を開き子供たちに読み書きを教えていた。
その間に、娘・( 細川 )ガラシャがここで生まれた。
称念寺の住職の計らいで、光秀は朝倉義景に仕える機会を得て
そののちは、織田信長に仕える身へと大躍進していく。
この称念寺の寺小屋時代は、光秀取って天下取りへの充電期間であったかもしれない。
歴史のロマンが、意外と身近なところにあった。
ちなみに称念寺には、鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞の廟もある。