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金沢・卯辰山頂上付近望湖台近くに、徳田秋声文学碑がある。
※徳田秋声 1872年(明治4年)~1943年(昭和18年)
この碑は1947年(昭和22年)11月に、日本文学碑第1号として建てられた。
同じく金沢出身の世界的建築家、谷口吉郎が設計したものだ。
谷口は「職人の街である金沢の町並みをイメージし、土塀を選んだ。秋声の文章に
職人の技巧を感じたようだ」と、そののち解説している。
※谷口吉郎 1904年(明治37年)~1979年(昭和54年)
壁面右上には、秋声の自筆で「書を読まざること三日・・」と記した陶板が
はめ込まれている。
左下には室生犀星自筆の修正の略歴や、「生きのびてまた夏草の目にしみる」の
辞世の句を記した陶板がはめ込まれている。
※室生犀星 1889年(明治22年)~1962年(昭和37年)
意外と知られていないがこの碑の除幕式には、あの川端康成が列席している。
川端康成は、碑の完成に合わせた記念講演で
「日本の小説は源氏にはじまって西鶴に飛び、西鶴から秋声に飛ぶ」と賛辞している。
10代の頃から徳田秋声の小説を読みふけり、その後の創作活動に大きな影響を受けた。
徳田秋声という文豪が存在しなければ、ノーベル文学賞作家・川端康成は
生まれなかったかもしれない。
※川端康成 1899年(明治32年)~1972年(昭和47年)
日頃あまり気に留めない所は、「巨匠たちの夢宿る場所」である。