世界一の勝者の笑顔
前回号でご紹介した金沢市郊外の清水町の背後には、戸室山があります。
標高548mのこの戸室山は、連なる医王山、キゴ山と共に約40万年前に噴火したことにより誕生した休火山です。
この戸室山から産出される石が、あの「戸室石」です。この戸室石は加工しやすくさらに強度のある岩石で、利点を兼ね備えた石と言えます。
戸室石で作られた金沢城の石垣
この利点に注目したのが、加賀藩歴代の藩主のです。築城まもなく石垣作りが開始され寛永年間(1624~1644年)に完成しますが、藩政時代は民間採掘が厳しく制限され、藩外への持ち出しも禁じられていました。
藩政期の戸室石の石切場を「戸室石石丁場」と呼び、この広さは山の西側一帯約660ヘクタールに広がり、1300ヶ所以上の採石抗が確認されています。
戸室石を木そり(修羅)で運ぶ修羅引・古絵
金沢城の石垣以外にも、兼六園の庭石、辰巳用水の石管、神社仏閣の基礎石、鳥居、灯篭、橋梁 等々多岐にわたり利用され、藩政期における金沢の城下町つくりに大きく影響し、その後はその時流に上手く適応しながら、「今日の金沢」の街なみ形成と、戸室石の持つ独特な色で金沢の町を彩っています。
戸室石で作られた兼六園の「雁行橋」
現在ではこの戸室石がもつ効能から、浴用剤、水質浄化、薬石、盆栽用の肥料 等々新たな利点で、多岐にその価値を伝えています。
40万年前の火山によってできた戸室石を、約500年前の先人たちがその利用価値を見出し、城下町の礎を通して、当時の国内5大都市(江戸、上方、京、尾張、金沢)に入るまでになったのも、延々とその価値を伝えてきた人々の叡智だと思います。
まさに、「精霊の伝え人」と言えるでしょう。
次回は、この戸室石を次の時代に伝えようとしている、「現代の戸室石石丁場の匠」を取りあげたいと思います。
続く・・・
精霊の伝え人 そのⅠ →http://mbp-japan.com/ishikawa/kanazawa-ts/column/2847