呆れかえる「落書き」
金沢市郊外に山の斜面に、張り付くように8世帯住人34名が住む清水町という集落があります。
金沢に住む人でもこの清水町の存在を知る人は、そう多くはないように思えます。
筆者はあるご縁があって、今年の冬よりこの地区を何度か訪ねる機会をいただきました。
そこでは多くの出会いや新たな発見や感動があり、このことをコラムで不定期ではありますが何回かに分けてペンを走らせたいと思います。
まず、この集落の頂上付近に行くと、金沢の街並みはもちろんのこと、日本海まで一望することができます。富山県との県境に近いこの地からの日本海に沈む夕陽の眺めは、例えようのない感動的なものです。
住人の中には、我が町を「天空の町」と呼ぶ方もいます。
筆者撮影
また、よく見るとこの集落の家々は山側の西に向いて建っています。室町時代より今に続いているこの集落は、これも何か大きな理由があってそうなったものだと想像されます。
この一帯は、「百姓の持ちたる国」といわれた浄土真宗王国での重要な位置を占めているのではないかと考えます。
本丸ともいえる瑞泉寺(南砺市井波)、その前線基地といえる本泉寺(金沢市二俣町)がこの清水町と地図上では横一線としてつながります。
あくまで私見ですが、当時の清水町住人達の役目は対立していた加賀国守護の富樫氏の動きを先ほどの前線基地や本丸に、狼煙などを通して克明に伝えていたのではないかと考えられます。
直木賞選考委員でもある作家の北方謙三さんも、昨年秋に出版した「魂の沃野」(上・下)でこの一帯のことを巨篇歴史小説として書かれています。
環境的視点からこの清水町を見ると、集落が一体となって自立型環境保全活動を行っており、無農薬栽培、竹林の調整伐採 等々里山保全に努めています。昔はそのような活動が
どの集落でも当たり前のように行われていましたが、今となっては貴重な営みと言えます。
ある意味では、「絶滅危惧集落保全活動」とも言えるでしょう。
また、眼下には戸室新保地区埋め立て場があり、筆者にとっては言いようのない対比された光景として映ります。
戸室新保地区埋め立てについては、先月「何千年後の貝塚?」としてこのコラムに掲載しましたので、ご覧いただければ幸いです。
「何千年後の貝塚?」 → http://mbp-japan.com/ishikawa/kanazawa-ts/column/2792/
ただ言えることは600年近く、この町の人達は「精霊の伝え人」として、祖先から授かった自然やその恵を怠ることなく、そして凛として後世に伝え続けていることは事実です。
続く・・・